【姓名】 呉氏(ごし) ※名とあざなは不詳
【原籍】 呉郡(ごぐん)呉県(ごけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 第033話で初登場。
【演義】 第007回で初登場。
【正史】 登場せず。
創作された人物か? 孫堅(そんけん)の側室
父母ともに不詳。孫堅の正室である呉氏(武烈皇后〈ぶれつこうごう〉)の妹。
吉川『三国志』(第33話)や『三国志演義』(第7回)では、孫堅との間に「孫朗(そんろう)」という息子と「孫仁(そんじん)」という娘を儲けたとする。


吉川『三国志』の考察 第033話「溯江(そこう)」
袁紹(えんしょう)と袁術(えんじゅつ)が仲たがいすると、長沙(ちょうさ)にいた孫堅(そんけん)は袁術から密書を受け取る。これを好機と捉えた孫堅は自ら船団をひきい、荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)を攻めるべく出撃した。第0...
管理人「かぶらがわ」より
正史『三国志』には見えない人物です。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫堅伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く虞喜(ぐき)の『志林(しりん)』によると、「孫堅には5人の息子がおり、そのうち孫策(そんさく)・孫権(そんけん)・孫翊(そんよく)・孫匡(そんきょう)は正室の呉氏(武烈皇后)が生んだ子」。そして「末の息子の孫朗は庶子で、一名を孫仁と言った(つまり孫仁は娘ではない)」ということです。
正史『三国志』には庶子としかないので、この呉氏が孫朗を生んだという可能性は否定できません。ですが、正史『三国志』には姉にあたる呉氏しか登場していないところをみると、やはり創作された人物っぽいですね。
正史『三国志』における呉氏(武烈皇后)の没年には異説があるので、そのあたりも計算に入れての創作なのでしょうか? いずれにせよなかなかの着想だと思いますし、この呉氏の使い方も巧みでした。
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