孫英(そんえい)

【姓名】 孫英(そんえい) 【あざな】 ?

【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)

【生没】 ?~254年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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孫登(そんとう)の息子

父は孫登だが、母は不詳。孫璠(そんはん)は兄で、孫希(そんき)は弟。

孫英は241年に亡くなった孫登の跡を継ぎ、呉侯(ごこう)に封ぜられた。このときすでに兄の孫璠と弟の孫希は亡くなっていた。

その後、254年に丞相(じょうしょう)・大将軍(だいしょうぐん)の孫峻(そんしゅん)の暗殺を計ったものの、発覚して自殺。これを受けて封国は除かれた。

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管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

孫登の3人の息子たちのうち、孫璠が長男であることは確かですが、孫英と孫希はどちらが年長なのかイマイチはっきりしませんでした。

『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫登伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く胡沖(こちゅう)の『呉歴(ごれき)』によると――。

「253年に孫和(そんか)が自殺を命ぜられると、呉の民までが怒りと悲しみの心を抱いた」

「前司馬(ぜんしば)の桓慮(かんりょ)は、そうした人々の気持ちに乗じて部将や官吏を糾合し、孫峻を殺して孫英を立てようと企てた。このことが発覚して関係者はみな誅殺されたが、実のところ孫英は計画を知らなかった」ということでした。

桓慮の計画に担ぎ出されたのだとしても、孫英自身にも孫峻を誅殺しようという考えはあったと思います。この孫英の死によって、孫登の血筋が絶えることになりました。

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