【姓名】 孫基(そんき) 【あざな】 ?
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
孫霸(そんは)の息子
父は孫霸だが、母は不詳。孫壱(そんいつ)は弟。
孫基は五鳳(ごほう)年間(254~256年)に呉侯(ごこう)に封ぜられた。
孫基は宮廷で孫亮(そんりょう)の側近として仕えていたが、257年に皇帝の御馬を盗んで乗ったとして投獄され、裁判に付された。
このとき孫亮が侍中(じちゅう)の刁玄(ちょうげん)の進言を容れ、宮中に限定した恩赦を行ったため刑を免れた。
その後、264年に孫和(そんか)の息子である孫晧(そんこう)が帝位に即くと、孫和と孫霸の仲が悪かったことが採り上げられる。
これにより孫基と孫壱は爵位と封国を削られ、祖母の謝氏(しゃし)ともども会稽郡(かいけいぐん)の烏傷県(うしょうけん)へ強制移住させられた。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
孫晧が帝位に即いてしまってはどうしようもない、という感じでしょうか? しかし、いまさら父親同士の仲が悪かったと言われても……。
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