【姓名】 孫壾(そんもう) 【あざな】 キョ(囚+皿)
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
孫休(そんきゅう)の息子
父は孫休だが、母は不詳。孫ワン(そんわん。雨+單)と孫コウ(そんこう。雷+大)は兄で、孫ホウ(そんほう。亠+先+攴)は弟。
孫壾は、264年10月に孫晧(そんこう)から梁王(りょうおう)に封ぜられた。しかし、その後の事績に関する記事はない。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
孫壾ら兄弟の命名については、『三国志』(呉書〈ごしょ〉・孫休伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く張勃(ちょうぼつ)の『呉録(ごろく)』に、孫休の詔(みことのり)が載せられていました。
それによると孫休は「師友は別にしても、父兄や自分自身が立派すぎる名やあざなを付けるという風潮を、つねづね笑ってきた」とあり、「そうしたことに配慮しつつ、自ら4人の息子たちの名とあざなを定めた」のだということでした。
「孫壾の場合は、名の壾の音を草莽(そうもう。草むら)の『莽』と同じだ」とし、「あざなのキョ(囚+皿)の音は挙物(きょぶつ。すべてのもの)というときの『挙』と同じだ」と説明しています。
また「これらの文字はみな世に用いられているものではなく、ことさら古い文字から取ったものを組み合わせて作ったものだ」とも言い、「二字名にしないだけではなく、それぞれが独自の文字であるため。それを避けて使わないことも容易であろう」として、こうした自分の考えを広く天下に伝えるよう命じています。
しかし裴松之は、孫休が類例のない文字を作り出し、典拠のない音を定めたことを「前代の賢者たちの明らかな教えに反する」と批判したうえ、「後世にその愚かさを笑われることになったのも、もっともなことだ」と述べていました。
とはいえ、この記事からは当時の命名への意識が垣間見え、興味深いものがありました。孫休は古典の研究に没頭した人でもあるので、名やあざなにも強いこだわりがあったのでしょう。
現代では名を呼ぶことを避けたりはしませんけど……。子どもによい名を付けようというところだけを見れば、当時よりその傾向が強くなっているのかもしれません。
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