【姓名】 尹大目(いんたいもく) ※名は不詳。大目はあざな。
【原籍】 ?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 第107回で初登場。
【正史】 登場人物。
魏帝(ぎてい)に近侍した殿中校尉(でんちゅうこうい)
父母ともに不詳。
249年、曹芳(そうほう)が高平陵(こうへいりょう。曹叡〈そうえい〉の陵)に参拝した際、大将軍(だいしょうぐん)の曹爽(そうそう)らも随行する。
この機に太傅(たいふ)の司馬懿(しばい)がクーデター(正始〈せいし〉の政変)を起こし、曹爽一族の誅滅に動いた。
尹大目は殿中校尉として曹爽から信任されていたため、司馬懿の命を受け城外へ遣わされる。
尹大目が「洛水(らくすい)に懸けて免官にとどめる」という司馬懿の言葉を伝えたところ、曹爽はこれを信じて兵を解いた。
ところが、曹爽は弟たちや取り巻きともども処刑され、その三族(父母・妻子・兄弟姉妹、異説もある)も皆殺しになった。
尹大目は少年のころに曹家の奴僕となったので、いつも天子(てんし)のそばに控えていた。
255年、毌丘倹(かんきゅうけん)と文欽(ぶんきん)が淮南(わいなん)で反乱を起こすと、大将軍の司馬師(しばし)は病を押し、内外の軍勢をひきいて自ら討伐にあたる。
尹大目も従軍したが、彼は司馬師の片目が(悪性の瘤〈こぶ〉のために)突き出て、病状が重いことも知っていたので、このように申し出た。
「もともと文欽は殿の腹心でした。こたびは人に惑わされただけでしょうし、天子の郷里の者(文欽は譙郡〈しょうぐん〉の出身)でもあります」
「私は文欽に信用がありますから、追いかけて説得し、殿との誼(よしみ)を取り戻させたいと思います」
司馬師が聞き入れると、尹大目は武装して大きな馬に乗り、文欽を追って遠くから語りかけた。
「あなたさまは何に苦しまれ、数日の辛抱がおできにならないのでしょうか?」
この言葉は、司馬師の死が近いことを暗に伝えようとしたものだったが、文欽は気づかずに尹大目を罵倒した。
「お前は天子の家人だろう。ご恩に報いようともせず、かえって司馬師と反逆するのか。天を顧みなければ、天はお前を助けてはくれないぞ!」
そう言って矢をつがえると、尹大目を射ようとする。
尹大目は涙ながらに言った。
「事は失敗するでしょう。どうか精いっぱい力を尽くしてください」
ほどなく文欽は楽嘉(らくか)で兗州刺史(えんしゅうしし)の鄧艾(とうがい)に敗れ、呉(ご)へ逃げ込んだ。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
上で挙げた記事は、249年のものは『三国志』(魏書・曹真伝〈そうしんでん〉)に付された「曹爽伝」の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く郭頒(かくはん)の『世語(せいご。魏晋世語〈ぎしんせいご〉)』によるもの。
そして、255年のものは『三国志』(魏書・毌丘倹伝)の裴松之注に引く『魏末伝(ぎまつでん)』によるもの。
これ以降は尹大目に関する記事がなく、事績などもわかりませんでした。
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