曹肇(そうちょう)

【姓名】 曹肇(そうちょう) 【あざな】 長思(ちょうし)

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。『魏書(ぎしょ)・曹休伝(そうきゅうでん)』に付された「曹肇伝」あり。

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曹休の息子

父は曹休だが、母は不詳。曹纂(そうさん)は弟。息子の曹興(そうこう)は跡継ぎ。

曹肇は228年に死去した曹休の跡を継ぎ、曹叡(そうえい)のもとで散騎常侍(さんきじょうじ)・屯騎校尉(とんきこうい)を務めた。

238年12月、病床の曹叡から燕王(えんおう)の曹宇(そうう)らとともに後事を託される。ところが、数日のうちに曹叡の気持ちが変わったため免官され、侯(こう。長平侯〈ちょうへいこう〉か?)の身分のまま屋敷に帰るよう命ぜられた。

正始(せいし)年間(240~249年)に死去して衛将軍(えいしょうぐん)の官位を追贈され、息子の曹興が跡を継いだ。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。

『三国志』(魏書・明帝紀〈めいていぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く習鑿歯(しゅうさくし)の『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』によると、「病床の曹叡は、初め曹宇を大将軍(だいしょうぐん)に任じ、夏侯献(かこうけん)・曹爽(そうそう)・曹肇・秦朗(しんろう)らに後事を託そうとした」。

「しかし、曹叡の寵愛を受けていた中書監(ちゅうしょかん)の劉放(りゅうほう)と中書令(ちゅうしょれい)の孫資(そんし)は秦朗らと仲が悪かった。そこでふたりは策を巡らせ、曹宇の代わりとして曹爽を推す一方、司馬懿(しばい)を起用して補佐にあたらせるよう進言し、曹叡の承諾を得た」

「ふたりが曹叡のもとから退出したあと、曹肇は涙ながらに曹叡を強く諫め、司馬懿起用の詔(みことのり)を差し止める許可を得た。それでも曹肇が退出すると、再び劉放と孫資が駆け込んで曹叡を説き伏せたうえ、重体の曹叡の手を取って無理やり詔を書かせた。この詔によって曹宇・曹肇・夏侯献・秦朗らは免官され、互いに涙を流しながら屋敷に帰って行った」ということでした。曹叡の死の間際にあったごたごたが垣間見える記事ですね。
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