【姓名】 孫瑾(そんきん) 【あざな】 ?
【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
呉(ご)の孫晧(そんこう)の息子
父は孫晧だが、母は不詳。名がわからないものの、10人以上の弟がいたことがうかがえる。
孫瑾は269年1月に皇太子に立てられた。
その後、280年に呉が晋(しん)によって滅ぼされると、孫晧らとともに洛陽(らくよう)へ移住。司馬炎(しばえん)から中郎(ちゅうろう)に任ぜられた。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
『三国志』(呉書〈ごしょ〉・薛綜伝〈せつそうでん〉)に付された「薛瑩伝(せつえいでん)」によると、薛瑩は孫休(そんきゅう)の時代(258~264年)に散騎中常侍(さんきちゅうじょうじ)を務めていましたが、病のため辞職したそうです。
264年に孫晧が帝位に即くと、薛瑩は再び出仕して左執法(さしっぽう)に任ぜられ、やがて選曹尚書(せんそうしょうしょ)に昇進します。
そして269年に孫瑾が皇太子に立てられると、薛瑩が太子少傅(たいししょうふ)を兼ねたとのことでした。
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