吉川『三国志』の考察 第080話「鶏鳴(けいめい)」

董承(とうじょう)は献帝(けんてい)から賜った血の密詔を懐に忍ばせ、あえて夜中に劉備(りゅうび)の客館を訪ねる。

密詔を見せられた劉備はとめどなく涙を流し、自分も董承らの同志に加わる決意を固め、官職と名を義状に記した。

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第080話の展開とポイント

(01)許都(きょと) 劉備の客館

ある夜、董承は献帝の密詔を懐に秘め、頭巾で面を隠して劉備の客館へ向かった。

このとき彼は曹操(そうそう)の密偵に尾行されてはならないと警戒。日ごろ詩文だけの交わりをしている風雅の老友を先に訪ね、わざと深更(深夜)まで話し込み、三更(午前0時前後)ごろなってその家を辞した。

劉備の客館に着いたのは四更(午前2時前後)に近かった。劉備は怪しみながら迎え入れたが、およそ用向きを察しており、客院ではなく奥の小閣へ案内した。

ここで劉備の客館が、当初の丞相府(じょうしょうふ)のすぐ隣から今の場所(許都の郊外)に移ったことが語られていた。なお『三国志演義(2)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第21回)では、劉備の住居が変わったという記述はない。

董承は四方山(よもやま)の話の末に席を改め、口をうがいしてから密詔を示す。劉備はジッと見ていたが、とめどなく流れる涙を両手で覆う。

董承は賛同を得ると、同志の名と血判を連ねた義状も見せる。そして劉備も7人目の同志となり、義状に官職と名を記した。

夜が明け遠くに鶏鳴が聞こえるころ、董承は驢(ロ)に乗って密やかに帰った。

ここで義状の内容がいくらかうかがえる記述があった。本頭に車騎将軍(しゃきしょうぐん)董承というのは当然だが、第二筆に長水校尉(ちょうすいこうい)种輯(ちゅうしゅう)とあるのは解せない。董承の次に義状に署名したのは王子服(おうしふく)だったはず。前の第79話(01)を参照。

ここにあった董承、种輯、呉子蘭(ごしらん)、王子服、呉碩(ごせき)、馬騰(ばとう)という順は、董承、王子服、种輯・呉碩(このふたりはどちらが先に署名したのかわからず)、馬騰、呉子蘭とあるべきだろう。

なお井波『三国志演義(2)』(第21回)では、董承、王子服、种輯、呉碩、呉子蘭、馬騰の順になっているが、こちらは『三国志演義』の展開に沿ったものなので矛盾がない。

管理人「かぶらがわ」より

この第80話は短めで、新たに劉備が義盟に加わったことを描いたものでした。わざわざ前の第79話と分けたのは、劉備の大物ぶりを際立たせるためでしょうか?

せっかくのいいシーンだったのに、義状の署名順が不可解なことになっていたのは少し残念でした。

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吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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