鄧方(とうほう) ※あざなは孔山(こうざん)

【姓名】 鄧方(とうほう) 【あざな】 孔山(こうざん)

【原籍】 南郡(なんぐん)

【生没】 ?~222年?(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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南方の鎮撫(ちんぶ)にあたった将軍

父母ともに不詳。

211年、鄧方は荊州従事(けいしゅうじゅうじ)として劉備(りゅうび)に付き従い、蜀(しょく)へ入る。

214年、劉備が成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降した後、鄧方は犍為属国都尉(けんいぞっこくとい)に任ぜられ、郡名の変更に伴って朱提太守(しゅしたいしゅ)に転じた。

後に安遠将軍(あんえんしょうぐん)・庲降都督(らいこうととく)として南昌(なんしょう)に駐屯し、222年に死去した。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるものです。

登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績についての記事もなく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。

また『三国志』(蜀書・李恢伝〈りかいでん〉)には、鄧方が222年ではなく221年に亡くなったとあり、没年についてもイマイチはっきりしません。

『季漢輔臣賛』では、鄧方の意志の強さや財産に執着しなかった様子がたたえられ、南方の鎮撫に活躍したこともうかがえます。

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