劉雄鳴(りゅうゆうめい)

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【姓名】 劉雄鳴(りゅうゆうめい) ※「雄鳴」はあざなか?

【原籍】 京兆郡(けいちょうぐん)藍田県(らんでんけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

曹操(そうそう)が夢で見た神人?

父母ともに不詳。

劉雄鳴は若いころから薬草の採取と狩猟を生業とし、覆車山(ふくしゃざん)の麓に住んでいた。彼は日々、朝から晩まで雲霧の中を歩き回ったものの、決して道に迷うことがない。そのため人々は、彼には雲霧を起こす力があるのだとうわさした。

192年、李傕(りかく)と郭シ(かくし。氵+巳)が長安(ちょうあん)で反乱を起こすと、多くの人々が劉雄鳴のもとへ避難してきた。

建安(けんあん)年間(196~220年)、劉雄鳴は州郡に従属し「小将(しょうしょう?)」となる。

211年、馬超(ばちょう)らが反乱を起こすと、劉雄鳴はこれに抵抗して撃破され、今度は曹操のところへ赴く。

すると曹操は彼の手を取って言った。

「私が潼関(とうかん)に入った折、ひとりの神人を得る夢を見た。あれはあなたのことだったのか!」

こうして劉雄鳴を大いに礼遇し、上表して「将軍(しょうぐん)」としたうえ、その配下の者たちも迎えに行かせる。

ところが配下の者たちは降伏を望まず、劉雄鳴に迫って反旗を翻させた。そして数千人の集団となり、武関(ぶかん)の街道口に拠る。

翌212年、曹操配下の夏侯淵(かこうえん)が討伐に向かい、これを撃破。劉雄鳴は南下して漢中(かんちゅう)に逃げ込む。

215年、曹操が漢中の張魯(ちょうろ)を降すと、行き場のなくなった劉雄鳴は再び帰順。

このとき曹操が、彼の顎ひげを引っ張って言った。

「老賊。今度こそ本当にお前を手に入れたぞ!」

劉雄鳴はもとの官位に戻されたものの、勃海(ぼっかい)へ移されることになった。ただ、その後については記事がない。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・張魯伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』および『三国志』(魏書・夏侯淵伝)によるもの。

雲霧の中を歩き回っても道に迷わないからって、それだけのことで雲霧を起こす力がある、などと思われるものではないでしょう。

劉雄鳴は何か神秘的な雰囲気を持った人だったのかもしれません。薬草にも詳しかったようですし……。それにしても、勃海へ行った後の話が見えないのは残念。

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