曹闡(そうせん)

【姓名】 曹闡(そうせん) 【あざな】 ?

【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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曹拠(そうきょ)の息子、郿侯(びこう)

父は曹拠だが、母は不詳。曹琮(そうそう)と曹範(そうはん)は兄。

236年、東安郷公(とうあんきょうこう)だった曹闡は、235年に死去した曹範に代わって曹子整(そうしせい)の跡継ぎとして立てられ、郿侯に封ぜられた。

正元(せいげん)年間(254~256年)から景元(けいげん)年間(260~264年)にたびたび加増されて1,800戸となった。

管理人「かぶらがわ」より

曹拠の息子として名が出てくる曹琮・曹範・曹闡の兄弟の順番がイマイチはっきりしません。

曹闡が曹範の弟だというのは『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・郿戴公子整伝〈びたいこうしせいでん〉)にありますが、曹琮をふたりの兄と見てもいいのかどうか?

曹琮が曹沖の跡継ぎに立てられた時期(217年)を考えると、曹琮が最年長で、彼に曹範と曹闡が続くものと思われますが……。

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