孫嘿(そんもく)

【姓名】 孫嘿(そんもく) 【あざな】 ?

【原籍】 ?

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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呉(ご)の孫亮(そんりょう)配下の中書令(ちゅうしょれい)

父母ともに不詳。呉の孫権(そんけん)の一族なのかは不明。

253年4月、諸葛恪(しょかつかく)が魏(ぎ)の合肥新城(ごうひしんじょう)を包囲する。しかし疫病が大流行したため、呉の兵士の大半が死んでしまった。

同年8月、諸葛恪は帰還を促す孫亮の詔(みことのり)を受けて、ようやく軍勢を返す。

孫嘿は、諸葛恪が都に帰るなり呼び出され、「なぜ詔をでっちあげてまで帰還を促したりしたのか」と激しく叱責された。

すると孫嘿は、病を理由に屋敷に引き籠もってしまったという。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

孫嘿の名が正史『三国志』に見えるのは、上で挙げた諸葛恪に叱責された場面だけなので、詳しい経歴などはわかりませんでした。

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