章陵王(しょうりょうおう) ※孫晧(そんこう)の息子

【姓名】 章陵王(しょうりょうおう) ※名とあざなは不詳

【原籍】 呉郡(ごぐん)富春県(ふしゅんけん)

【生没】 ?~?年(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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呉(ご)の孫晧(そんこう)の息子

父は孫晧だが、母は不詳。孫瑾(そんきん)は兄。名がわからないものの、ほかにも10人以上の兄弟がいたことがうかがえる。

273年9月に章陵王に封ぜられた。

その後、280年に呉が晋(しん)によって滅ぼされると、孫晧は孫瑾らとともに洛陽(らくよう)へ移住したが、彼も移住した孫氏一族に含まれていたのかイマイチはっきりしない。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。姓名の部分に章陵王と入れてしまいましたが、もちろん姓は孫のはずです。

孫晧の息子たちには名のわからない人物が多いのですが、これらをみな孫氏として収録すると女性の孫氏も多いことからまぎらわしい。ということで、例外的に王号で収録することにしました。

そもそも孫晧の息子たちで、王に封ぜられた人物が何人いたのかがわからない。記事の捉え方によっては30人以上いたようにも見えますし――。

上で「彼も移住した孫氏一族に含まれていたのかイマイチはっきりしない」と書きましたが、洛陽へ移住した孫晧は司馬炎(しばえん)から帰命侯(きめいこう)に封ぜられ、孫瑾は中郎(ちゅうろう)に任ぜられたということです。

さらに、孫晧の息子たちの中で王に封ぜられていた者は、みな郎中(ろうちゅう)に任ぜられたともありました。なので、もし彼も洛陽へ移住したのであれば、司馬炎から郎中に任ぜられたのだと思います。
「呉の孫氏」収録人物一覧
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人物データ 呉の孫氏
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