龔禄(きょうろく) ※あざなは徳緒(とくしょ)

【姓名】 龔禄(きょうろく) 【あざな】 徳緒(とくしょ)

【原籍】 巴西郡(はせいぐん)安漢県(あんかんけん)

【生没】 195~225年(31歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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蛮族に殺害された越嶲太守(えっすいたいしゅ)

父母ともに不詳。龔衡(きょうこう)は弟。

214年、劉備(りゅうび)が成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降すと、龔禄は(郡の)従事(じゅうじ)・牙門将(がもんしょう)に任ぜられる。

225年、龔禄は越嶲太守となり、丞相(じょうしょう)の諸葛亮(しょかつりょう)の南征に随行したが、斯都(しと)の首領である李求承(りきゅうしょう)に殺害された。このとき31歳だったという。

管理人「かぶらがわ」より

上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるものです。

龔禄を手に掛けた李求承については、『三国志』(蜀書・張嶷伝〈ちょうぎょくでん〉)に名が見えていました。

登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績に関する記事もほとんどなく、龔禄がどのような人物だったのかはよくわかりませんでした。

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