『三国志 Three Kingdoms』の考察 第05話「三英傑、呂布と戦う(さんえいけつ、りょふとたたかう)」

190年、董卓(とうたく)は自ら大軍を引き連れ、反董卓連合軍が立て籠もる虎牢関(ころうかん)に迫った。

ここで董卓配下の呂布(りょふ)の挑発に乗り、張飛(ちょうひ)が関外へ飛び出す。劉備(りゅうび)と関羽(かんう)が追いかけて加勢し、呂布は3人を相手に戦う。

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第05話の展開とポイント

(01)連合軍の本営

袁紹(えんしょう)が袁術(えんじゅつ)に、孫堅(そんけん)への兵糧供給まで止めたことを叱責する。

しかし袁術は袁紹に、孫堅が董卓に代わる脅威となる可能性を指摘し、董卓を倒す一方で諸侯の兵力も削ぐよう進言する。

袁紹のもとに、董卓配下の李傕(りかく)と郭汜(かくし)が8万の西涼軍(せいりょうぐん)をもってハクバ(白馬?)の要塞に夜襲をかけ、孫堅が敗走したとの知らせが届く。

続いて袁紹のもとに、董卓が25万の西涼軍をひきいて出陣したとの知らせも届く。

曹操(そうそう)は袁紹に、孫堅の敗戦を諸侯に伝えず、逆に孫堅が大勝したと伝えるよう進言して容れられる。

袁紹は諸侯を招いて宴を催し、孫堅の大勝を伝える。この席で袁術と劉備が対立。劉備は連合軍から去ることを告げる。

董卓が呂布とともに大軍をひきいて城外に到着。

(02)西暦190年 虎牢関の戦い

呂布が単騎で城門のそばまで近づき、城内の諸侯を罵る。

ここも前の第4話(01)の「汜水関(しすいかん)の戦い」の字幕と同様、なぜ「虎牢関の戦い」になるのかわからない。連合軍の本営が動いているようにも見えるし、最初に集まった陳留城(ちんりゅうじょう)から動いていないようにも見える。

仮にここで董卓が攻め寄せたのを虎牢関だとするなら、なぜ連合軍が守備側なのかという疑問も出てくる。いつ連合軍が虎牢関を攻め取ったのだろうか?

?(白ヒゲの年配の諸侯。誰なのかわからず)配下のリュウサントウ(この人もわからず)、?(黒ヒゲの若い諸侯。この人もわからず)配下のカンユウ(この人もわからず)、公孫瓚(こうそんさん)配下のオウチン(この人もわからず)。

この3人を呂布と戦わせようとしたところ、すでに出陣し、みな呂布に討ち取られたとの知らせが届く。これを聞いた諸侯は軍議の場で内輪もめを始める。

その後、張飛が呂布に挑む。そこへ関羽が加勢し、ふたりがかりで呂布と戦う。最後は劉備も加勢し、3人がかりで戦う。やがて呂布のほうが引き揚げる。

呂布が関羽や張飛と互角に戦うのはいいとして、劉備まで呂布と渡り合っていたが、この力関係はどうなのだろう? さすがに劉備を持ち上げすぎの感じが……。

連合軍が城外へ打って出る。

ここで曹操が曹仁(そうじん)に、「では虎牢関に向かい、洛陽(らくよう)を攻める」と言っていた。となると、やはりここが虎牢関ではないということなのか?

(03)洛陽 長楽宮(ちょうらくきゅう)

参内する途中の王允(おういん)が皆に、昨夜(ゆうべ)受けた知らせとして、袁紹のひきいる軍勢が虎牢関を陥したことを伝える。また、董卓の生死も不明だとも。

しかし、すでに宮殿には董卓の姿があった。夜明け前に兵士を連れて戻ったのだという。

董卓は長安(ちょうあん)への遷都と即日の出発を宣言。併せて洛陽を焼き払うよう命ずる。

ここで董卓を諫めて斬られた朝臣がいた。誰なのかわからなかったが……。

(04)孫堅の軍営

曹操が孫堅を訪ねる。

ここで曹操が孫堅に、連合の取り決めとして、誰より先に都に入った者は驃騎大将軍(ひょうきだいしょうぐん)に封ぜられると言っていた。この官位がオリジナルなのかよくわからず。驃騎将軍に「大」は付けないのでは?

驃騎大将軍は范曄(はんよう)の『後漢書(ごかんじょ)』に数多くの用例があり、将軍号として通用することがわかった。(2016/2/18追記)

曹操と孫堅がふた手に分かれる。曹操は孫堅の騎兵3千を借り受け、自身の騎兵とともに董卓を追撃。一方の孫堅はすべての歩兵をひきいて洛陽へ向かう。

管理人「かぶらがわ」より

劉備三兄弟と呂布との戦いは気合いの入った描写でした。劉備がやれすぎの感じはしましたけど……。

この第5話でも新たな人名や地名がかなり出てきましたが、ややこしくて消化不良ぎみ。人物のほうはドラマのオリジナルも混じっているようですね。

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