『三国志 Three Kingdoms』の考察 第43話「司馬懿、出仕す(しばい、しゅっしす)」

赤壁(せきへき)の戦いで孫権軍(そんけんぐん)に大敗を喫し、敗走中には劉備軍(りゅうびぐん)の追撃を受け続けた曹操(そうそう)。

命からがら南郡(なんぐん)までたどり着くと、皆を集めて今回の敗戦を振り返る。軍略と情勢分析を語った後、名を偽っていた司馬懿(しばい)とふたりきりで話し込む。

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第43話の展開とポイント

(01)西暦208年 敗走中の曹操

曹操は関羽(かんう)が追ってこないことを確認し、皆に不要な物はすべて捨てるよう命じたうえ、南郡へ帰り着く決意を述べる。

(02)赤壁 周瑜(しゅうゆ)の軍営

周瑜のもとに、程普(ていふ)が敵軍5万を倒して3千の兵馬を確保したとの知らせが届く。続いて凌統(りょうとう。淩統)の帰還が伝えられ、7千の敵を倒して武器や兵糧を接収したとの知らせも届く。そこへ孫権が到着し、周瑜らの功績を高く評価する。

ここでの孫権と周瑜とのやり取りを見ると、曹操を殺す役目を劉備に譲り渡したというのが、やはり孫権側の基本認識になっていた。

周瑜が魯粛(ろしゅく)に、夏口(かこう)の劉備の様子を探ってきてほしいと頼む。

(03)夏口

魯粛が劉備を訪ねる。その場に関羽が手ぶらで戻り、劉備と諸葛亮(しょかつりょう)に曹操を捕らえていないことを報告する。

このあたりで軍法は絶対だ何だと、関羽をはじめ劉備・張飛(ちょうひ)・諸葛亮・魯粛といった面々がわざとらしい芝居を演じていた。関羽の助命は既定路線だったはずなのに、何だか薄っぺらい感じ。

魯粛は劉備の求めに応じて諸葛亮を説き、いずれ今回の過ちを償わせるということで、関羽の助命が決まる。劉備・関羽・張飛は、魯粛に平伏して謝辞を述べる。

(04)赤壁 周瑜の軍営

孫権と周瑜のもとに魯粛が戻る。周瑜は、劉備らの芝居に騙(だま)されたのだと魯粛を非難する。

魯粛は孫権に、将来、中原(ちゅうげん。黄河〈こうが〉中流域)で覇を唱え、偉業を成したいとの考えであれば、いずれ曹操に勝たねばならないと言い、それには劉備と手を組むことが必要だと主張する。

周瑜は、劉備を助けるべきだという魯粛の主張に納得せず席を立つ。しかし、孫権は魯粛の意見を評価する。

(05)南郡

曹操が何とか南郡に到着。皆を集めて今回の敗戦を振り返り、軍略と情勢分析を語る。

曹操が語っている場で寝ていた、温県(おんけん)出身で幕賓のバオウ(?)と呼ばれる男が連れ出される。

ここで曹操が皆に、「我らは83万の大軍で南下したが、孫劉連合の5、6万の兵に負けた……」と言っていた。ドラマの基本的な設定は『三国志演義』を踏襲しているものと思われる。そのため両者の兵力はこのようになるが、正史『三国志』の記述と大きく異なっている。実数としては曹操軍が十数万、孫権軍が数万といったところ。

曹操がバオウの牢を訪ねる。バオウは、赤壁の敗戦は自然の道理だと話し、目下のところ人心は漢(かん)に向いており、曹操には向いていないと告げる。

バオウは曹操に、現状では富国強兵に努めるよう説き、10年後を待って南征するよう勧める。そうすれば戦わずして勝つことができると。

ここでバオウが見ていた書簡が、曹操の「短歌行(たんかこう)」という設定になっていた。「短歌行」については先の第41話(02)を参照。

曹操は筆跡を見て、バオウが司馬懿であることを見抜く。これを司馬懿も認め、改めて曹操に拝謁する。

このあと司馬懿は牢から出され、曹操と話を続けていた。その話の中では、5年前に司馬懿が卓越した才覚と博識によって幾度も推挙されたこと。しかし、官職を提示されても床に就いて病を装い、登用を拒んだこと。

その2年後、曹操は再び司馬懿を召し出そうとし、断ったら捕らえるようにとまで指示したが、司馬懿はひと足早く逃げ、曹操の部下は彼の詩文だけを持ち帰ったこと。曹操は幾度も司馬懿を捕らえようとし、各地をくまなく捜させたことを話していた。

さらに、曹操が司馬懿の筆跡を覚えていたというのはハッタリで、司馬懿の顔が兄の司馬朗(しばろう)と似ていたため、見当をつけたのだとも話していた。

管理人「かぶらがわ」より

南郡までたどり着いた曹操。そして司馬懿の怪しげな登場。司馬懿については個人的な想像よりクセが強そうな感じでしたが、これはこれで味のある設定だと思いました。

それにしても、関羽の助命に絡む芝居。効果的かつドラマに必要であることはわかるのですが、どうしても引っかかります。

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