劉琦(りゅうき)が亡くなったことで、劉備(りゅうび)は荊州(けいしゅう)に留まり続ける根拠を失ってしまう。
さっそく魯粛(ろしゅく)は弔問を名目に襄陽(じょうよう)へ赴き、荊州を返還するよう劉備に迫るが――。
第51話の展開とポイント
(01)南徐(なんじょ)?
孫権(そんけん)が魯粛に、時期を待って荊州を取るため出兵する考えを話す。
★ここでは冒頭から地名などの字幕がなく、どこなのかはっきりしなかった。
蔣欽(しょうきん)が巴陵(はりょう)から武器と兵糧を取りに戻ってくる。
蔣欽は孫権に偵察兵からの情報として、劉備がすべての兵を荊州一帯に集めており、敵の襲来に備えているかのようだと伝える。
(02)巴陵
魯粛が周瑜(しゅうゆ)を訪ね、すぐには荊州へ出兵しないようにとの孫権の意向を伝える。
しかし周瑜はすでに巴陵の両翼への進軍を命じており、歩兵3万と水軍5万に分かれて進み、3日後には荊州の城下に着くだろうと話し、魯粛を驚かせる。
ただ周瑜は、まだ劉備に戦を仕掛けるときではないとも言い、差し向けたのが囮(おとり)の兵であることを明かす。
(03)襄陽
劉琦の弔問を名目に、魯粛が劉備を訪ねる。魯粛は弔問を終えると、さっそく荊州の返還を求める。
結局、諸葛亮(しょかつりょう)の提案により、荊州は呉(ご)のものであると認めたうえ、劉備が立脚の地として一時的に借りるという形を取ることになった。
そして劉備が西蜀(せいしょく)を取った後、荊州を返還するということで話をまとめ、その旨を記した誓紙を魯粛に預ける。魯粛は劉備と諸葛亮が書き判した誓紙をもらい、帰途に就く。
★これまでも引っかかっていたが、いつ孫権が呉侯に封ぜられたのかわからない。また、そのことをもって孫権の支配地域を呉と呼ぶのはフライングだと思う。
(04)巴陵
魯粛が周瑜のもとに立ち寄る。周瑜は魯粛と酒を飲み、思い出話をした後、諸葛亮に対する複雑な感情を吐露する。
★ここで周瑜が軍をひきい始めたころに大敗を喫したときの話として、大富豪だった魯粛から米蔵ひとつを無償で譲り受けたことが語られていた。このドラマと話の筋は異なるが、魯粛が周瑜に3千斛(ごく)の米蔵ひとつを与えたことは、正史『三国志』にも見える。
(05)襄陽
孫乾(そんけん)が劉備に甘夫人(かんふじん)が亡くなったことを伝える。
(06)巴陵
周瑜と魯粛のもとに、劉備が夫人を亡くしたとの知らせが届く。ここで周瑜は、孫権の妹との婚儀を名目に、劉備を江東(こうとう)へおびき寄せる策を思いつく。
魯粛は周瑜の書いた上奏文を持って南徐へ戻る。
(07)南徐
魯粛が孫権に周瑜の上奏文を届ける。
★ここは『三国志演義』を踏襲していると思うが、南徐という地名は後漢(ごかん)時代に使われていたものではない。ほかにも『三国志演義』には、時代に合わない地名が数多く出てくる。
(08)襄陽
呂範(りょはん)が劉備を訪ね、孫権が荊州を貸しておくことに同意したと伝えたうえ、夫人を亡くした劉備に孫権の妹を娶(めと)るよう勧める。
★ここで劉備が呂範に、「私はすでに50に差しかかり、もう老境です……」と言っていた。このあたりの年齢設定は正史『三国志』とも合っている。
劉備は事前に諸葛亮が勧めた通り話を聴くだけにし、翌日改めて返答するとして、ひとまず呂範を宿に案内させる。
管理人「かぶらがわ」より
あれこれと言い訳し、孫権に荊州を返そうとしない劉備。かなり苦しい状況ですね。
この第51話は、周瑜が諸葛亮への思いを語ったシーンが見どころでしょう。有能な人物ゆえの苦悩が痛ましい。
50近くになり、30も年齢差のある縁談が舞い込んだ劉備。お茶が熱いはずだ……。
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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