『三国志 Three Kingdoms』の考察 第82話「陸遜、連営を焼く(りくそん、れんえいをやく)」

222年、呉(ご)の陸遜(りくそん)は周到に準備を整えて大規模な火計を発動し、蜀軍(しょくぐん)に壊滅的な損害を与える。

それでも諸葛亮(しょかつりょう)の迅速な手回しにより、命拾いした劉備(りゅうび)は白帝城(はくていじょう)へと逃れた。

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第82話の展開とポイント

(01)成都(せいと)

諸葛亮が馬謖(ばしょく)に、劉備が陸遜に敗れた場合の三国の情勢変動について尋ねる。

馬謖は、蜀と呉の兵力が大きく削がれたため、再び魏(ぎ)が優位に立つと答える。そして蜀と呉は遺恨を取り払って手を組み、魏に対抗しなくてはならないとも述べた。

諸葛亮も同じ考えだとし、馬謖の見識に安堵(あんど)。その才能を高く評価する。

諸葛亮は自身が考案した八陣図を見せ、この陣を魚腹浦(ぎょふくほ)に布(し)くよう命ずる。2千の兵馬をひきいて魚腹浦へ急ぎ、この図に基づいて土を掘り、石を積んで罠を設け、八卦(はっけ)の陣を布けと。

また諸葛亮は陸遜への挨拶状だと言い、ひとつの小箱を手渡す。馬謖が退出すると諸葛亮は趙雲(ちょううん)を呼び、数日のうちに敗報が届くと話す。

そのうえで諸葛亮は、趙雲が連れてきた歩騎2万のうち騎馬兵1万だけをひきいさせ、猇亭(おうてい)の前線に行って陸遜の追撃を防ぐよう命ずる。劉備を救出し白帝城へ向かえとも。

(02)西暦222年 夷陵(いりょう)の戦い

陸遜の火矢を合図に、韓当(かんとう)ら呉軍が火攻めを開始。周囲が炎に包まれる中、劉備は張苞(ちょうほう)や関興(かんこう)らの手で軍営から連れ出される。

(03)魚腹浦

陸遜のもとに、積みあげられた石の上にあったという小箱が届く。陸遜が開けてみるよう言うと、小箱の中には蟷螂(とうろう。カマキリ)と蟬(セミ)の死骸が入っていた。陸遜は諸葛亮の警告だと言い、砦へ引き揚げる。

このあたりのシーンが少なく、何がどうなったのかわかりにくかった。

(04)跑虎砦(ほうこさい)

戻った陸遜のもとに、孫権(そんけん)が来ているとの知らせが届く。諸葛瑾(しょかつきん)は、陸遜が劉備を追撃している間に曹丕(そうひ)が進軍の命を下したことを伝える。

曹仁(そうじん)を大将軍(だいしょうぐん)に10万の軍勢が濡須(じゅしゅ)へ、左将軍(さしょうぐん)の曹休(そうきゅう)ひきいる5万の軍勢が洞口(どうこう)へ、右将軍(ゆうしょうぐん)の曹真(そうしん)ひきいる5万の軍勢が南郡(なんぐん)へ、それぞれ出陣。総勢20万の大軍が荊州(けいしゅう)へ迫っているというもの。

孫権は陸遜に、呂範(りょはん)に3万の軍勢で曹休を、同じく朱桓(しゅかん)に3万の軍勢で曹真を、それぞれ防ぎに行かせたことを伝える。すでに朱桓は伏兵を置き、魏の先鋒の常雕(じょうちょう)を斬ったとも。

また諸葛瑾は陸遜に、孫権が荊州の各城に陸遜の旗を立てさせたとも話す。こうして固く守って出陣しなければ、曹仁は不思議に思い、そのうち陸遜が戻っているものと考える。加えて味方の敗報が立て続けに届けば、戦わずに撤退するだろうと。

孫権が陸遜と諸葛瑾に、今後の方針について意見を聴く。

そのうえで孫権は、諸葛瑾を白帝城へ遣わすと告げ、今回の戦で得た蜀軍の兵馬や輜重(しちょう)をすべて返すよう命ずる。これは孫劉連盟の復活を意図したものだった。

(05)白帝城

劉備が趙雲の前で気弱な言葉を漏らし、すでに白帝城へ呼び寄せた劉禅(りゅうぜん)と諸葛亮を迎えに行かせる。

(06)成都

諸葛亮が李厳(りげん)を呼び、近衛軍の統率を魏延(ぎえん)に託し、劉禅や自分とともに白帝城へ行くよう伝える。李厳は承知し、魏延に兵符を渡す。

ここで劉禅が諸葛亮に、かわいがっている蟋蟀(コオロギ)も連れていきたいと言い、やんわりと諭され諦めていた。

(07)白帝城

劉禅らが到着。劉備は諸葛亮に、自分の考えに固執して惨敗を喫したことを詫びる。

このシーンについて『三国志演義』(第85回)では、諸葛亮が劉禅の異母弟の劉永(りゅうえい)と劉理(りゅうり)を伴っており、劉禅は成都を守るため残ったことになっていた。話をわかりやすくしようとしたのかもしれないが、ここで劉禅を持ってきたドラマの意図がイマイチつかめなかった。

ここで馬良(ばりょう)が劉備に、呉の軍船が長江(ちょうこう)を上り、こちらへ向かっていることを伝える。

諸葛亮が兵力を尋ねると、馬良は偵察兵からの情報として、船に兵馬があふれ、その数は2万を下らないと答える。諸葛亮は趙雲にすべての城門を閉ざし、兵士たちに城を守らせるよう命ずる。

続いて馬謖が劉備に、呉の使者として諸葛瑾が来たことを伝える。

諸葛瑾が劉備に会い、孫権の命を受け、2万余りの蜀軍の捕虜や武具、車や船をすべて返すことを伝える。そのうえで孫権の意向として、改めて連盟を申し入れる。

しかし、劉備は侮辱しに来たのかと激高し、血を吐いて倒れる。そのためひとまず諸葛瑾も下がる。

その後、1日以上も眠っていた劉備が目を覚ます。劉備はそばにいた劉禅に呉との連盟について意見を聴くが、劉禅は劉備の考えに従うとしか言わない。

ここでにわかにひとつの明かりが消え、劉備が劉禅に「明かりが消えたら、そなたはいかにする?」と尋ねるシーンを挟んでいた。劉禅に「父帝(ちちてい)に従います」と答えさせたことで、その資質をより強く印象づけようという意図だろう。

劉備は劉禅を通じ、諸葛亮に呉との連盟に同意すると伝えさせる。

劉備は李厳を呼び、諸葛亮に対抗しないよう諭す。そして李厳を太子太傅(たいしたいふ)に任じたうえ、エキ侯(?)に封ずる。

ここで劉備は黄権(こうけん)のことにも触れていた。彼はまだ曹丕に降っていないという設定なのだろうか?

管理人「かぶらがわ」より

陸遜の火攻めに惨敗を喫し、蜀の国を傾けてしまった劉備。得をしたのは曹丕だけ、というより、誰も得をしていないのかも。

劉禅は暴君タイプの人物ではありませんが、大業を継ぐのに向きそうもない。ただ、もし劉禅が諸葛亮ばりの跡継ぎだったとしても、魏との圧倒的な国力の差は逆転不可能だったと思います。

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