荊州(けいしゅう)の劉備(りゅうび)は、許都(きょと)から益州(えきしゅう)への帰途にあった張松(ちょうしょう)を引き留め、3日間にわたり手厚くもてなす。
張松は劉備の人柄に魅了され、もともと曹操(そうそう)に献ずるつもりで携えてきた蜀(しょく)12郡の地図を見せたうえ、入蜀するよう懇願した。
第64話の展開とポイント
(01)荊州 襄陽(じょうよう)
劉備が張松を3日間にわたり手厚くもてなす。
酒宴の席で張松が劉備に蜀を取るよう勧める。しかし、劉備は同族の劉璋(りゅうしょう)から益州を奪うことはできないと拒む。
張松は劉備らを招き、持ってきた蜀12郡の地図を見せる。ところが劉備は見ようとせず、張松の入蜀の懇願を退けて立ち去る。
劉備と諸葛亮(しょかつりょう)が立ち去った後、龐統(ほうとう)は張松に良策があると持ちかける。
(02)益州 成都(せいと)
張松が劉璋のもとに戻り、曹操は益州を狙っていると伝えたうえ、荊州の劉備を迎えるよう進言する。
劉璋は李厳(りげん)と黄権(こうけん)の反対を退け、劉備を迎えるための使者として法正(ほうせい)を荊州へ遣わす。
★ここで張松が李厳に、「昨年、張魯(ちょうろ)が攻めてきた際、そなたは主君に壕(ほり)と砦で境を閉ざすように進言した」と指摘したうえ、「その結果はどうだ。ウキョウ(?)で負け、領土を割譲した」と言っていた。「ウキョウ」は地名だろうがよくわからなかった。また「負け」は「分け」とも聞こえ、負けたのか分け(引き分け)たのかはっきりせず。
(03)襄陽
法正が劉備を訪ね、劉璋の書状を差し出す。そして、劉備に兵をひきいて蜀へ入り、張魯に対抗するよう求める。また、必要となる兵糧はすべて劉璋が供給することも伝え、劉備は承諾の意思を示す。
続いて法正は張松の書状も差し出す。劉備は書状に目を通した後、蜀に行って張魯への抵抗は助けるが、それ以上の考えはないと話す。
関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)がふたりで飲んでいたところへ龐統が顔を出す。龐統は劉備の真意を読み解いてみせ、蜀へ入るなら必ず蜀を取ると話す。
さらに、入蜀には魏延(ぎえん)と黄忠(こうちゅう)を随行させ、関羽・張飛・趙雲(ちょううん)は荊州に残すとの考えを伝える。
(04)成都
劉璋のもとに、劉備が入蜀を承諾したとの知らせが届く。
劉璋は、またも李厳と黄権の反対を退けたうえ張松の進言を容れ、涪城(ふうじょう)まで劉備を出迎えに行くことにする。
(05)成都 楡橋門(ゆきょうもん)
益州従事(えきしゅうじゅうじ)の王累(おうるい)が、劉璋に劉備を迎え入れないよう諫言する。この諫言が聞き入れられないとみた王累は、自ら剣で首を斬りつけた後、城門から飛び下りて死ぬ。
(06)張任(ちょうじん)の軍営
黄権が張任を訪ね、劉璋から指示された精鋭3千ではなく、3万の兵をひきいて涪城へ行くよう勧める。
管理人「かぶらがわ」より
張松を手厚くもてなすことで入蜀の勝算を高めた劉備。
劉備に狙われて抵抗できなかったのでしょうが、劉璋の配下には思ったより忠臣が多かったようですね。
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