『三国志 Three Kingdoms』の考察 第84話「出師の表(すいしのひょう)」

223年、蜀(しょく)では劉禅(りゅうぜん)が帝位を継ぎ、226年、魏(ぎ)でも曹叡(そうえい)が帝位を継いだ。

諸葛亮(しょかつりょう)は劉禅に「出師(すいし)の表」を奉呈して許しを得ると、宿願の北伐に着手する。

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第84話の展開とポイント

(01)西暦223年 建業(けんぎょう)

馬謖(ばしょく)が孫権(そんけん)の前で弁舌を振るい、蜀と呉(ご)との連盟の維持に成功する。

馬謖が孫権とのやり取りの中で、酈食其(れきいき)や斉(せい)の桓公(かんこう)と名医の扁鵲(へんじゃく)の故事を引き合いに出していた。

また馬謖が孫権に、「大王はやはり盟約に背き、曹丕(そうひ)に江東(こうとう)の81郡を差し出すおつもりですな……」と言っていた。江東には81郡もないだろう。81県という意味なのか? この表現はこれまでにも何度か出てきたが……。

孫権は馬謖に決断を促され、魏の使者を呼ぶよう命ずる。

このあと油が煮えたぎった鼎(かなえ)に魏の使者を入れ、煮殺したという話になっていた。

その後しばらくして諸葛瑾(しょかつきん)が孫権に、蜀の討伐に向かった魏の4つの大軍が諸葛亮に撃退されたことを伝える。

鮮卑(せんぴ)の軻比能(かひのう)は西平関(せいへいかん)に着くと馬超(ばちょう)に阻まれ、戦わずして引き返した。

南蛮(なんばん)の孟獲(もうかく)は挙兵して蜀の南部4郡を攻めたが、魏延(ぎえん)が疑兵の計を用いると敗れて撤退した。

新城(しんじょう)の孟達(もうたつ)は出兵の途中で突然の病に倒れ、以来一歩も進めない状態になった。

魏の大都督(だいととく)の曹真(そうしん)は陽平関(ようへいかん)を攻めに行ったが、主要な道は趙雲(ちょううん)に堅く守られていた。曹真は進退窮まった末に兵糧が底を突き、撤退を余儀なくされたというもの。

ここで張昭(ちょうしょう)が孫権に、「あの日、主君が魏の使者を鼎に投げ入れなければ、我らは蜀の恨みを買うことになっていたでしょうな」と言っていた。

孫権は諸葛瑾に命じ、荊州(けいしゅう)の陸遜(りくそん)とジョウサイ(上蔡?)の朱桓(しゅかん)に、軍の調練を強化して曹丕の侵犯に備えるよう伝えさせる。

(02)蜀漢(しょくかん) 成都(せいと)

馬謖が諸葛亮に魏の4つの軍勢がすべて撤退したことを伝える。また、孫権がいずれの軍勢にも兵を出さなかったことも併せて伝える。諸葛亮は今回の馬謖の働きを高く評価する。

諸葛亮が馬謖から司馬懿(しばい)の名を聞く。

ここで馬謖が諸葛亮に、「司馬懿、あざなは仲達(ちゅうたつ)。齢50前後、位は尚書右僕射(しょうしょゆうぼくや)、一貫して文官です。曹丕の即位前はずっと曹丕の幕僚をしておりました。兵をひきいて出征したことはなく、兵法に通じているのかも不明です」と言っていた。

この話を聴いた諸葛亮は馬謖に、今後は司馬懿の動向から目を離さないよう命ずる。

(03)曹魏(そうぎ) 洛陽(らくよう)

曹丕が皆に今回の蜀討伐の敗因を問いただす。華歆(かきん)は、出兵を約束しておきながら密かに蜀と連盟を結んだ孫権が原因だと述べる。

ここで華歆が曹丕に、「さらに憎いことに、(孫権は)わが魏の使者を煮殺したのです……」とも言っていた。

曹丕は華歆から、先に建造を命じておいた3千隻の軍船と10隻の龍舟(りゅうしょう)が完成しており、水軍兵5万は調練中であることを聞く。

続いて曹丕は曹休(そうきゅう)から、150万石(ごく)の兵糧が用意されており、このうち50万石はすでに合肥(ごうひ)へ送られていることを聞く。

曹丕は皆に、秋が過ぎたら水軍35万を出征させ、呉を討伐すると宣言。今回は自身も出陣すると告げる。曹真を手始めに、従軍を願い出る声が次々に上がる。

曹真は既出だが、字幕による紹介があったのは初めてかも?

また、ここで曹真の次に名乗りを上げた曹休が、「負けた暁には軍法にてお裁きを」と言っていた。「負けた暁には」というのは誤用だろう。

ところが司馬懿は呉の討伐に反対し、兵力の増強と屯田を進めるため10年待つようにと進言。しかし曹丕は聞き入れず、司馬懿に屋敷へ帰るよう命じて軍議から締め出す。

(04)西暦223年 濡須口(じゅしゅこう)の戦い

曹丕が呉軍に大敗する。

ここはナレーションでまとめていた。「司馬懿の予想通り、曹丕が出陣すると、蜀の趙雲が陽平関を出て長安(ちょうあん)を襲った。また呉の陸遜も出陣し、魏軍を広陵(こうりょう)にて破った。曹丕は手痛い敗北を喫し、命からがら逃げ帰った」と。

ここで描かれていた曹丕の親征は、吉川『三国志』、『三国志演義』、正史『三国志』ではいずれも224年のこと。

(05)洛陽宮(らくようきゅう)

曹丕が司馬懿を呼び、若いころ患った肺病が完治せず、帝位に即いた後もますます悪化するばかりだったことを打ち明ける。

ここで司馬懿は、曹丕の病気のことを知らなかったととぼけていた。これについては先の第81話(10)を参照。

さらにここで曹丕は司馬懿に、病気のことは曹操(そうそう)でさえ知らなかったとも言っていたが……。

曹丕は司馬懿を驃騎大将軍(ひょうきたいしょうぐん)に任じ、大将軍(だいしょうぐん)の曹真、大司馬(だいしば)の曹休とともに魏の軍政をつかさどるよう命ずる。

驃騎大将軍というのはどうなのだろうか? 何にでも大を付ければいいというものでもないと思うが……。

驃騎大将軍は范曄(はんよう)の『後漢書(ごかんじょ)』に数多くの用例があり、将軍号として通用することがわかった。(2016/2/18追記)

(06)西暦226年 文帝(ぶんてい)曹丕崩御(ほうぎょ)

曹丕が司馬懿に曹叡の補佐を託した後、息を引き取る。

ここでナレーションが入っていた。「魏帝曹丕、在位7年。功を成す間もなく逝った。享年40」と。

第84話(05)と(06)のシーンはつながっている。第84話(04)から(05)への時間経過がつかみにくいが、(04)の223年から(05)は226年に飛んでいる点に注意が必要。

(07)司馬懿邸

司馬懿が静姝(せいしゅ)に曹丕が亡くなったことを伝える。

(08)洛陽宮

曹真と曹休が曹叡に、司馬懿を都から追放し辺境の城に赴任させるよう進言。曹叡は司馬懿を雍涼大都督(ようりょうだいととく)に任じ、辺境の城へ送ることにする。

ここで曹叡らが曹操を「先王」、曹丕を「先帝」と呼んでいた。曹操は曹丕から武皇帝(ぶこうてい)と諡(おくりな)され、廟号(びょうごう)は太祖(たいそ)である。その一族の者が「先王」などと呼ぶはずがない。

また曹真が曹叡に、「実は昨夜(ゆうべ)悪い夢を見たのです。桶(おけ)の草をむさぼり食う三頭の馬。目が覚めて思わず身震いしました。三頭の馬とはすなわち、司馬懿・司馬師(しばし)・司馬昭(しばしょう)なのです。桶とはつまり、我ら曹一族です」と話していた。

この「三馬同槽(さんばどうそう)」の夢について、吉川『三国志』(第242話)や『三国志演義』(第78回)では死期が迫った曹操が見たことになっていた。

(09)司馬懿邸

司馬懿が司馬昭に、曹真と曹休によって雍涼の地へ追い払われたことを話す。それこそが私の望んでいたことだとも。

(10)蜀漢 成都

諸葛亮が劉禅に「出師の表」を奉呈し北伐を願い出る。

ここで劉禅が諸葛亮に、「南蛮を平定してまだ間もないというのに、わが相父(しょうほ)は、まこと心が休まりませぬなぁ」と言っていた。全話のタイトル一覧を眺めてイヤな予感はしたが、やはり南蛮行のくだりがバッサリ切られていた。

劉禅は諸葛亮を平北大都督(へいほくだいととく)・丞相(じょうしょう)・益州牧(えきしゅうぼく)・武郷侯(ぶきょうこう)とし、魏への進軍を命ずる。また、彼に将軍の起用を一任する。

劉禅の命を受け、諸葛亮が今回の北伐で起用する諸将を発表する。

龍驤将軍(りゅうじょうしょうぐん)の関興(かんこう)は左護衛史(さごえいし)。

虎翼将軍(こよくしょうぐん)の張苞(ちょうほう)は右護衛史(ゆうごえいし)。

都亭侯(とていこう)の魏延は鎮北将軍(ちんほくしょうぐん)。

陳倉侯(ちんそうこう)の馬岱(ばたい)は平北将軍(へいほくしょうぐん)。

参軍(さんぐん)の馬謖(ばしょく)は安遠将軍(あんえんしょうぐん)。

李恢(りかい)は安漢将軍(あんかんしょうぐん)。

廖化(りょうか)は前軍副将(ぜんぐんふくしょう)。

王平(おうへい)は裨将軍(ひしょうぐん)。

袁綝(えんちん)は前将軍(ぜんしょうぐん)。

呉懿(ごい)は左将軍(さしょうぐん)。

高翔(こうしょう)は右将軍(ゆうしょうぐん)。

鄧芝(とうし)は監軍シ(史? 使?)。

丁咸(ていかん)と劉敏(りゅうびん)は左右護軍(さゆうごぐん)。

杜義(とぎ)は参軍。

閻安(えんあん)は行参軍(こうさんぐん)。

樊岐(はんき)はズイ軍主簿(ずいぐんしゅぼ)。

樊建(はんけん)は典軍書記(てんぐんしょき)。

ここで名の挙がらなかった趙雲が、諸葛亮に自身の起用を求める。

ここで諸葛亮が趙雲に、「数日前、馬超も病気で亡くなり、先帝の五虎大将軍(ごこだいしょうぐん)で残るはそなたただひとり……」と言っていた。

諸葛亮は趙雲の思いをくみ、先鋒大将(せんぽうたいしょう)として起用。2万の精鋭と副将10名をひきいるよう命ずる。

諸葛亮が北伐のため出陣する。

ラストにナレーションが入っていた。「南方を平定した諸葛亮は、劉備の遺言であった漢室(かんしつ)の復興を目指し、軍を起こしてキ山(きざん。ネ+阝。祁山)へ出陣。ここに第1次北伐を開始した。蜀の始動に天下は震撼(しんかん)することになる」と。

管理人「かぶらがわ」より

この第84話はチェックしなくてはいけない項目が多くて大変でした。

(04)で曹丕が親征に失敗したところはナレーションで説明していたのに、諸葛亮の南蛮行をバッサリ切ってしまったのは話数の都合なのでしょうか?

あと、(10)で出てきた第1次北伐の任官のくだりはかなりテキトーな印象を受けます。『三国志演義』をさらにイジったようですけど、不可解な設定が目立ちました。

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監督:ガオ・シーシー 脚本:チュウ・スージン 国内販売元:エスピーオー
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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