『三国志 Three Kingdoms』の考察 第81話「夷陵の戦い(いりょうのたたかい)」

ここまで勝利を重ねてきた蜀軍(しょくぐん)だったが、陸遜(りくそん)ひきいる呉軍(ごぐん)の激しい抵抗に遭う。

さらに猇亭(おうてい)の蜀陣で疫病が発生し、馬良(ばりょう)は劉備(りゅうび)にいったん秭帰城(しきじょう)まで引くよう進言するが――。

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第81話の展開とポイント

(01)猇亭 劉備の軍営

馬謖(ばしょく)が劉備に諸葛亮(しょかつりょう)の書状を届ける。

諸葛亮は書状の中で、これまでの劉備の連勝に敬服の意を示しながらも、陸遜に対して油断しないよう注意を促す。

ここで劉備が馬謖に、春秋(しゅんじゅう)時代のチョウカツ(趙括?)のエピソードを持ち出していた。「兵法の研究にかけては陸遜よりも遥かに上であった。されど結局、机上の空論に終わった……」と言っていたが、これだけではよくわからない。

劉備は馬謖に、ここで数日休んだあと成都(せいと)へ戻り、諸葛亮に伝えるよう言う。「こたびの戦は呉を倒す正念場。前進こそすれど後退はない。勝利はあっても敗北はない。朕自らに下した軍令である」と。

また「孔明(こうめい。諸葛亮のあざな)に兵糧と武器を用意させ、秋になったら猇亭の前線へ届けさせよ」とも。

(02)呉軍の砦

蜀軍が攻撃を続けるが、呉軍も激しい抵抗を見せる。

(03)猇亭 劉備の軍営

張苞(ちょうほう)は5日間にわたって呉軍の砦を攻めたものの陥せず。劉備は、兵を2万増やせば3日以内に陥せるかと尋ねるが、張苞は全力で戦うとしか答えない。劉備が叱りつけたため、やむなく張苞も3日以内に攻め落とすことを誓う。

ここで関興(かんこう)が劉備に、「わが兄(張苞のこと)は3日で12戦し、5か所負傷しました。兄ですら陥せぬならば、これ以上誰を出されても、おそらく無理なのではないかと……」と言っていた。

このドラマでは『三国志演義』(第81回)と同様、張苞が兄で関興が弟という義兄弟の設定になっていた。なお、吉川『三国志』(第249話)では関興が兄で張苞が弟ということになっている。そして正史『三国志』では、ふたりが義兄弟の契りを結んだことは見えない。

劉備は各陣に下山を命じ、2日間の休みを与える。そののち再び陣を布(し)き、攻撃を開始せよとも。

劉備は馬良に戦法を変えると告げ、各陣に休息後、足弱の者を派遣するよう命ずる。この者たちに敵陣のふもとで叫ばせ、敵の将軍や兵士を焚きつけるという手だった。

(04)跑虎砦(ほうこさい) 陸遜の軍営

韓当(かんとう)・周泰(しゅうたい)・フシュン(?)の3人が陸遜に、蜀軍が半時前に全面撤退を始めたと伝える。周泰は追撃を願い出るが、陸遜は許可しなかった。

(05)フシュンの砦

蜀軍の兵士が砦の前に座り込み、孫権(そんけん)らを罵る。この様子を見ていたフシュンが激高し、陸遜の命令に背いて出撃。しかし砦の外には蜀軍の伏兵がおり、かえってフシュンは砦を奪われてしまう。

(06)跑虎砦 陸遜の軍営

陸遜が命令に背いて4つの陣屋を失った罪を問い、フシュンを処刑する。

ここでフシュンは孫権の奥方の義理の弟だと言っていた。実弟ではないという設定なら、彼はドラマの創作人物らしい。前の第80話(09)を参照。

ここで陸遜がフシュンに、「この陸遜の軍には指揮官はあっても、皇帝の親族はおらぬ」と言っていた。この時点で孫権は呉王ということになっている。「皇帝の」としたのはフライングぎみの表現だろう。

孫権が張昭(ちょうしょう)や諸葛瑾(しょかつきん)を伴い、軍の慰労に来る。孫権はこのふた月の陸遜らの奮闘をたたえ、金などの褒美を与える。

陸遜は全軍の将軍と兵士に分け与えると言うが、自身はフシュンを処刑したことで刑を賜りたいと述べる。

孫権は陸遜の処断を評価。自分のところに届いていた陸遜の解任を求める上奏文を皆の前で焼く。

ここで孫権が「火」を持ち出したことは、次の第82話(02)を暗示させる意図があるのかも?

(07)猇亭 劉備の軍営

関興が劉備に間諜(かんちょう)からの情報として、陸遜が勝手に出陣したフシュンを斬り、出陣せず守りを固めるよう厳命したことを伝える。

ここで馬良が劉備に、陣中で疫病が発生しており、10の陣のうち3つが壊滅状態であることを伝える。

馬良は全軍を交代で秭帰城へ戻すよう進言し、関興も賛意を示す。しかし劉備は聞き入れず、軍営を山林の茂みに移すよう命じたうえ、秋になったら兵を進めると告げる。

さらに馬良は、蜀呉両軍の配置を図面に描いて諸葛亮に届け、意見を聴くよう勧める。劉備は不満の色を見せつつも進言を容れる。

(08)跑虎砦 陸遜の軍営

陸遜のもとに、蜀軍が全軍を林に移したとの知らせが届く。縦横(たてよこ)数百里、陣屋は計40余りで、秋になってから戦うつもりのようだとも。

陸遜が諸将を集め、蜀軍の10の陣のうち3つが疫病に冒されていることを伝える。これは我らに、30万の大軍が天より与えられたに等しいとも。

また陸遜は諸将に、山林は乾いた薪(たきぎ)がかまどに積み上げられたも同然だと述べ、火攻めを用いることを宣言する。

(09)成都

馬良が諸葛亮に、蜀呉両軍の配置を詳細に描いた図面を届ける。諸葛亮は蜀軍の配置を見て大声を上げ、劉備に軍営の移動を勧めた者の処刑を口にする。

馬良がすべて劉備自身の判断だと伝えると、諸葛亮は、敵の火攻めに対処できないことを指摘する。

諸葛亮は馬良に、夜を徹して猇亭へ戻り、すぐに劉備に軍営を移すよう伝えさせる。馬良は、猇亭への到着前に不測の事態が起きていた場合の対応を尋ねる。

諸葛亮は、もし呉軍に破られていた場合、劉備を守って白帝城(はくていじょう)へ避難するよう伝える。また、魚腹浦(ぎょふくほ)に10万の伏兵を置いたとも話すが、馬良には合点がいかなかった。

(10)洛陽(らくよう)

司馬懿(しばい)は曹丕(そうひ)の持病が悪化していることを知ったものの、表向きは平静を装う。

司馬懿が曹丕に偵察兵からの情報として、猇亭の蜀軍は暑さに耐えかね、全軍で山林に移ったことを伝える。その幅は700里を超え、陣屋は40余りだとも。

司馬懿は、じき劉備が負けると告げ、以前に述べた見立てが誤りだったことを謝罪する。

司馬懿が以前に述べた見立てについては、先の第79話(04)を参照。

司馬懿が20万の軍勢を乞い、陸遜が西に向かったところで退路を断つと述べる。曹丕は司馬懿を持ち上げはしたものの、出陣は許さなかった。

曹丕は曹仁(そうじん)を大将軍(だいしょうぐん)とし、兵10万を預けて濡須(じゅしゅ)へ、曹休(そうきゅう)は左将軍(さしょうぐん)とし、兵5万を預けて洞口(どうこう)へ、曹真(そうしん)は右将軍(ゆうしょうぐん)とし、同じく兵5万を預けて南郡(なんぐん)へ、それぞれ向かわせるとの考えを話す。

司馬懿もこの場では曹丕の考えを評価してみせる。

(11)司馬懿邸

司馬昭(しばしょう)が司馬懿に、朝廷で曹丕から叱責されたとのうわさについて尋ねる。

司馬懿は事実だと話したうえ、曹丕が自分を排斥しようという意図を持っていることを問題視する。

司馬昭は、一族や門下の者に内密に注意を促すよう勧める。司馬懿も同意し、司馬昭の成長ぶりをたたえる。

静姝(せいしゅ)が司馬懿に羹(あつもの。野菜や肉を入れた熱い吸い物)を作って運んでくる。司馬懿は、今後は自分が司馬昭と話しているときでも遠慮しなくてよいと告げる。

管理人「かぶらがわ」より

猇亭で呉軍の激しい抵抗に遭うも、引くことを拒む劉備。暑さにやられた蜀軍が山林へ移動し、ほくそ笑む陸遜。

曹丕と司馬懿との駆け引きも出てきました。いい関係は長く続きませんね……。

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