ドラマ『三国志 Three Kingdoms』の考察 第17話 「劉備、兄弟と離れる(りゅうび、きょうだいとはなれる)」

曹操(そうそう)が施した離間の計に乗せられた呂布(りょふ)は、自ら大軍をひきいて小沛(しょうはい)の劉備を攻める。

劉備は城に立てこもって抵抗するも、呂布配下の陳宮(ちんきゅう)が曹操の名をかたって送った偽の書状に引っかかり、城外へ出撃した末に敗れ、関羽(かんう)や張飛(ちょうひ)ともはぐれてしまう。

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第17話の展開とポイント

(01)西暦197年 寿春(じゅしゅん)

曹操(そうそう)が郭嘉(かくか)から徐州(じょしゅう)の状況を聞き、陳珪(ちんけい)と陳登(ちんとう)を使って呂布(りょふ)と陳宮(ちんきゅう)、そして呂布と劉備(りゅうび)との離間を謀らせる。

曹操が寿春を発ち、許都(きょと)への帰途に就く。

(02)徐州(じょしゅう)

陳宮が呂布に、陳珪と陳登を重用しないよう諫める。しかし呂布はまったく聞く耳を持たなかった。

陳宮が狩りの途中でひとりの密偵を捕らえ、曹操が劉備に送った密書を入手する。陳宮から密書を見せられた呂布は小沛(しょうはい)の劉備を攻めることを決める。

呂布が張遼(ちょうりょう)と高順(こうじゅん)に騎兵1万を預け、関羽(かんう)の陣への夜襲を命ずる。また宋憲(そうけん)と魏続(ぎぞく)に兵1万を預け、劉備の退路を断つよう命ずる。

そのうえで呂布自ら大軍をひきいて小沛を攻めることにし、徐州の留守を陳父子に任せると言いだす。これを聞いた陳登は陳父子を徐州に残すことに反対。呂布は陳珪に留守を任せ、陳登のほうを従軍させることで折り合いをつける。

(03)小沛

呂布の軍勢が攻め寄せる。劉備は糜芳(びぼう)を遣わし曹操に援軍を要請する。また、城外にいる関羽には曹操の援軍到着を待つよう伝えさせる。

(04)行軍中の曹操

曹操のもとに陳珪の使者が着き、呂布が計にハマり小沛へ進軍中だと伝える。続いて曹操のもとに糜芳が着き、劉備からの援軍要請を伝える。

(05)呂布の軍営

劉備の籠城に手を焼いた呂布が陳宮に策を乞う。陳宮は、曹操の名をかたって劉備に書状を送り、城外へおびき出すという策を献ずる。

(06)小沛

劉備が陳宮の偽書状に引っかかり、城から出撃する。

このとき劉備が「全軍に命ずる。開城し敵を討てい」と言っていた。「開城」は城を開いて降参するという意味なので、「開門し」としたほうがよかったと思う。

同じく城外にいた関羽も陳宮の計にかかり、劉備らとともに誘い出される。そこへ軍勢をひきいた呂布が現れて両軍激突。この間に陳登は戦場から姿を消す。

劉備は関羽や張飛とはぐれて敗走し、やがて曹操と合流。ここで劉備は曹操から、先に自分のもとに遣わされたという密書が、陳宮に見せるための策だったと聞かされる。

陳宮が呂布に、曹操の大軍が到着したことを知らせる。呂布は急いで徐州へ戻る。

(07)徐州

呂布が戻ってきたものの、留守を任されていた陳珪は城門を閉ざす。やむなく呂布は下邳(かひ)へ向かう。

劉備が戦場ではぐれた関羽と張飛に再会する。

陳珪と陳登が城門前で曹操を出迎える。

このシーンで陳父子が曹操を「曹公」と呼んでいた。それはいいが、これに釣られたのか郭嘉や曹仁(そうじん)まで「曹公」と呼んでいた。ここまでの流れを見ると郭嘉は「わが君」と、曹仁は「兄上」か「わが君」と呼ぶほうが自然だったと思う。

(08)下邳

曹操が軍勢をひきいて到着し、呂布に面会を求める。

このとき何事もなかったかのように、貂蝉(ちょうせん)が徐州から下邳へと移っていた。ここは戦場であり、徐州から下邳に簡単に移動できるとは思えない。設定が安易すぎないだろうか?

管理人「かぶらがわ」より

密書を用い陳宮までハメてしまう曹操。その陳宮の偽書状にハマる劉備と関羽。やはり計略では曹操が数枚上手。

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(1) 群雄割拠 Three Kingdoms
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