『三国志 Three Kingdoms』の考察 第40話「草船で矢を借りる(そうせんでやをかりる)」

周瑜(しゅうゆ)は自陣に置いている諸葛亮(しょかつりょう)を警戒し、軍法を利用して処刑しようと考える。

諸葛亮は周瑜の軍令を受け、曹操軍(そうそうぐん)との決戦に備えて、3日のうちに10万本の矢を用意することを請け合う。

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第40話の展開とポイント

(01)赤壁(せきへき) 周瑜の軍営

蒋幹(しょうかん)が、周瑜の机の上に置かれていた蔡瑁(さいぼう)らの名が記された書簡を盗む。

周瑜は、呂蒙(りょもう)を使って江北(こうほく)から密使が来たように装い、眠ったふりをしていた蒋幹を信じ込ませる。

翌朝、蒋幹は急いで江北へ戻ろうとし、呼び止めた小喬(しょうきょう)に周瑜への礼を述べて立ち去る。

このとき蒋幹が小喬に、「ただいま呉(ご)と曹軍は戦を始めようとしております……」と言っていた。ここに限ったことではないが、この時点で「呉」と呼んでいるのは引っかかる。

(02)烏林(うりん) 曹操の軍営

蒋幹が曹操のもとへ戻り、周瑜の説得に失敗したことを伝えたうえ、軍営から盗んできた書簡を手渡す。これを読んだ曹操は、蔡瑁と張允(ちょういん)の処刑を命ずる。

ふたりの処刑後、曹操は周瑜に謀られたことに気づくが、改めて于禁(うきん)と毛玠(もうかい)を正副の都督(ととく)に任ずる。于禁はすべての船を鎖でひとつなぎにするよう進言し、曹操の許しを得る。

ここで出てきた連環の計について、ドラマでは于禁を発案者としていた。吉川『三国志』(第158話)や『三国志演義』(第47回)では、この役を龐統(ほうとう)が担っている。

曹操の命を受けた曹丕(そうひ)が蔡瑁の通夜に駆けつけ、蔡中(さいちゅう)と蔡和(さいか)に曹操の意向を伝える。

蔡中(吉川『三国志』では蔡仲)と蔡和について、吉川『三国志』や『三国志演義』では蔡瑁の甥だったり舎弟(弟や従弟というニュアンス)だったりしているが、このドラマではふたりとも蔡瑁の弟として登場させていた。

ちなみに、吉川『三国志』や『三国志演義』に登場する蔡壎(さいくん。蔡勲とも)はドラマに登場しなかった。また、この蔡瑁がらみの3人(蔡中・蔡和・蔡壎)はいずれも正史『三国志』に見えない。

曹丕はふたりに、蔡瑁の密書は周瑜が偽造したものだったと明かし、すでに蒋幹が処刑されたことを伝える。

そして、曹操が天子(てんし。献帝〈けんてい〉)に上奏し、蔡中をジョウチュウ侯(?)に、蔡和を新野侯(しんやこう)に、それぞれ封じ、チュウグン将軍(?)として黄金1万両ずつを授けることになったとも話す。

曹丕はさらなる官爵の引き上げをちらつかせ、周瑜への投降を装うよう伝える。ふたりはこれに従い、周瑜のもとへ向かった。

(03)赤壁 周瑜の軍営

魯粛(ろしゅく)が周瑜を訪ね、謀(はかりごと)が成功し、曹操が蔡瑁の首を刎(は)ねさせたことを知らせる。蔡瑁の後任には于禁と毛玠が指名されたことも伝えた。

魯粛がやってきたとき笛を吹いていた周瑜と箏(そう。琴)を弾いていた小喬。ここは戦場(しかも最前線)なんだけど……。魯粛にしても、ふたりの音色を褒めているようではダメだろ。

望外の成功を喜ぶ周瑜だったが、すぐに諸葛亮のことを思い出す。そこで魯粛に、今回の蒋幹を用いた計略について、諸葛亮の反応を確かめるよう頼む。

魯粛が諸葛亮を訪ねると、やはり彼はすべてを察しており、魯粛にお祝いを述べる。一方で諸葛亮は、自分が今回の計略を見抜いていたことは周瑜に言わないよう頼む。

周瑜は魯粛に声をかけ、諸葛亮に会ったか尋ねる。魯粛は諸葛亮が今回の計略を見抜いていたことを話してしまい、これを聞いた周瑜は改めて諸葛亮の殺害を口にする。

周瑜が皆を集めて軍議を開き、諸葛亮も同席。

ここで周瑜が諸葛亮に、「孔明(こうめい。諸葛亮のあざな)どの、水もぬるみ春が近づいた。そろそろ開戦も間近だ。そのときはよろしく頼むぞ」と言っていた。開戦の時期がしっくりこないが……。

この場で諸葛亮は周瑜の軍令に従い、3日のうちに10万本の矢を用意することを請け合う。

ここで周瑜が「紙を持て。(諸葛亮に)押なつさせる」と言っていた。やはり竹簡や木簡、帛(はく。絹)だけでなく、紙も使われているようだ。

魯粛が諸葛亮を訪ねたところ、諸葛亮は船を20艘(そう)貸してほしいと頼む。さらに、それぞれの船に30人ずつ兵士を乗せ、1千体の藁人形(わらにんぎょう)を船の両側に並べるよう伝える。

周瑜との約束の期限である3日目の卯(う)の刻、諸葛亮は魯粛を伴い、20艘の船団をひきいて曹操軍に近づく。

(04)烏林 曹操の軍営

曹操に敵の襲来が伝えられる。曹操は濃霧を見て、敵を相手にせずひたすら矢を放つよう命ずる。

(05)赤壁 周瑜の軍営

諸葛亮が魯粛とともに、両側にびっしりと矢が刺さった船団をひきいて帰還。周瑜のもとには12、3万本の矢が届けられた。

周瑜は諸葛亮を訪ね、曹操軍を撃破するための計を互いの手のひらに書いて見せ合う。ふたりの手のひらには、同じ「火」の一字が書かれていた。

そこへ呂蒙(りょもう)が姿を見せ、蔡瑁の弟ふたりが投降してきたことを伝える。

管理人「かぶらがわ」より

予想通りヘマをしてしまう蒋幹。これをすぐには見破れず、周瑜に謀られる曹操。

そして諸葛亮の草船借箭(そうせんしゃくせん)の計。『三国志演義』では有名なエピソードで、このようにドラマで描かれると「お見事」としか言いようがありません。ですが、その元ネタは『三国志演義』ではなく正史『三国志』のほう。

『三国志』(呉書〈ごしょ〉・呉主伝〈ごしゅでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』には、213年に曹操が濡須(じゅしゅ)で孫権と対峙(たいじ)した際の話として、孫権が大型船に乗って偵察に来ると、曹操が弓や弩(ど)を激しく射かけさせたことが書かれています。

「その矢が孫権の船に突き刺さり、一方だけが重くなって転覆しそうになった。そこで孫権は船の向きを変えさせ、もう一方の面で矢を受けさせた」のだと。「こうして両面に刺さった矢で船が安定を取り戻したところで、孫権は自軍へ引き揚げた」ということです。

(『三国志演義』の撰者〈せんじゃ〉とされている)羅貫中(らかんちゅう)がうまく逸話を拾ったのでしょうが、こうした手柄の付け替えっぽいのは好きになれません。

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