ドラマ『三国志 Three Kingdoms』の考察 第94話 「星落ち、五丈原に逝く(ほしおち、ごじょうげんにゆく)」

上方谷(じょうほうこく)へ追い込んだ魏(ぎ)の司馬懿(しばい)を取り逃がしてしまった蜀(しょく)の諸葛亮(しょかつりょう)。

己の死期を悟って姜維(きょうい)に自著を授けるが、やはり案ぜられるのは魏延(ぎえん)の動きだった。

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第94話の展開とポイント

(01)上方谷(じょうほうこく)

にわかに降りだした雨で辺りの火が消えてしまい、落胆した諸葛亮(しょかつりょう)は血を吐き倒れる。

ここで諸葛亮が「キ山(きざん。ネ+阝。祁山)はここ9か月まるで雨が降らなかったと申すのに、今日に限って何ゆえかような土砂降りになるのだ」と言っていた。また「北伐開始より10年。キ山出陣は6度目だ……」とも言っていた。

(02)司馬懿(しばい)の軍営

司馬懿が天文を観察し、司馬昭(しばしょう)に蜀(しょく)の大将が亡くなる兆しだと告げる。

(03)諸葛亮の軍営

諸葛亮が姜維(きょうい)に24編からなる自著を授ける。

続いて諸葛亮は楊儀(ようぎ)に、本営を五丈原(ごじょうげん)へ移すよう命じたうえ、自身に不測の事態があれば軍を統べる兵符は楊儀が受け継ぐよう伝える。

楊儀は承諾したものの、魏延(ぎえん)が謀反を起こす不安を口にする。諸葛亮は楊儀に、自ら魏延の真意を探ると告げる。

その後、魏延が兵を連れて本営へ駆けつけ、部将の制止を振り切り諸葛亮と会う。

ここで魏延が幕舎に入ってきたとき、祈とうしていた諸葛亮の主灯らしき明かりが消えていた。『三国志演義』(第103回)では諸葛亮が自身の延命を祈ったことになっていたが、このシーンではそこまで詳細な描写はなかった。

魏延は諸葛亮に、曹叡(そうえい)が司馬懿のもとに新たに送った10万の兵が、隴西(ろうせい)に到着したことを伝える。

諸葛亮は魏延に「私の死後、全軍を掌握し、北伐の重任を担えるのは誰だと思うか?」と尋ねる。

魏延は蜀の出身者に兵符を渡すことにだけ反対するが、具体的な人物の名を挙げない。そこで諸葛亮は魏延に、2日か3日のうちに諸将を集め、みなの前で全軍の兵符を授けると告げる。

魏延が退出したあと諸葛亮は姜維に命じ、馬岱(ばたい)を呼んでこさせる。

諸葛亮は馬岱に、自分の死後に魏延が謀反を起こすとの見通しを伝えたうえ、魏延を斬るよう命ずる。

(04)五丈原 諸葛亮の軍営

諸葛亮が楊儀に、劉禅(りゅうぜん)への遺言を書き取らせたあと亡くなる。

ここでナレーションが入っていた。「(蜀の)建興(けんこう)12(234)年8月23日。諸葛亮は壮志かなわず、五丈原に陣没した。享年54。その知恵と忠義により、国のため力を尽くしたことは、後世まで称えられた」と。

なお、このシーンの冒頭でかなりの規模の砦が出てきた。諸葛亮の病が重くなってから本営を五丈原に移すという話もヘンだし、ほんの数日(下の第94話〈06〉を参照)でこのような大規模な砦を築いたという設定にも無理があると思う。

(05)五丈原 蜀の軍営

姜維がみなに、自分の死後、全軍を漢中(かんちゅう)へ戻すようにとの、諸葛亮の遺言を伝える。

そして参軍(さんぐん)の楊儀に兵符を渡そうとするが、この場に乗り込んできた魏延が兵符を取り上げる。

魏延はみなの前で「今日からは私が全軍を指揮する」と宣言。マセイ(?)に3千の兵を預け、諸葛亮の柩(ひつぎ)を蜀で埋葬するよう命ずる。

さらに魏延は馬岱を虎威将軍(こいしょうぐん)に任じ、中軍をひきいて本営を守るよう命ずる。

魏延は諸葛亮の遺命に背き、このまま北伐を続けると言いだし姜維から反心をとがめられる。

魏延は馬岱に姜維を捕らえるよう命ずる。だが馬岱は剣を抜き、この場で魏延を斬り殺す。

(06)司馬懿の軍営

司馬懿のもとに、蜀軍が五丈原から去りキ山の方角へ向かったとの知らせが届く。また、蜀の軍営の跡に使用済みの線香やろうそく、弔旗、白い幕が残されていたとも。

司馬懿は諸葛亮の計を疑うが、結局、司馬昭に5千の精鋭を預け、渭水(いすい)に沿ってキ山へ進攻するよう命ずる。道中で蜀軍の状況を探るようにも言い、伏兵への注意を促す。

ここで司馬昭が司馬懿に「数日前、夜空を見て大将の死を予言されたのが誠になったのです」と言っていた。

さらに司馬懿は郭淮(かくわい)にも2万の兵を預け、自身が中軍となり、30里(り)空けずに続くことにする。

(07)陳倉道(ちんそうどう) 行軍中の蜀軍

姜維が王平(おうへい)に、自身が兵をひきい、陳倉道で魏軍(ぎぐん)を待ち伏せすると伝える。王平は姜維に深追いしないよう注意したうえ、本隊をひきいて先へ進む。

(08)五丈原 蜀軍の軍営跡

司馬懿らが到着。なお司馬懿は諸葛亮の計を疑い、いったんは郭淮の追撃を求める進言を退ける。

しかし、郭淮の直言を聴いた司馬懿は思い直し、郭淮とふた手に分かれ、陳倉道の入り口にいると思われる蜀の伏兵を挟み撃ちにしようとする。

(09)陳倉道

司馬懿は蜀の伏兵に遭遇したものの、その攻撃ぶりから焦りを感じ取り、諸葛亮の死を確信する。

ここで司馬懿がみなに「かつて王双(おうそう)が諸葛亮の伏兵に遭ったのも、この陳倉道だった……」と言っていた。先の第88話(11)を参照。

(10)司馬懿の軍営

司馬昭が司馬懿に、諸葛亮は8月23日の深夜に亡くなっており、陳倉道の諸葛亮は木像だったと伝える。受けた恥辱の大きさにもだえる司馬懿。

しばらくして起き上がった司馬懿は司馬昭に、急いで陳倉道へ行き諸葛亮の木像を取ってくるよう頼む。

司馬懿は諸葛亮の木像と対座し別れを惜しむ。そこへ勅使が着き、曹叡の詔(みことのり)を伝える。

司馬懿は大将軍(だいしょうぐん)の夏侯覇(かこうは。夏侯霸)に軍権を渡したうえ、すぐに洛陽(らくよう)へ戻るよう命ぜられた。

諸葛亮の木像は後ろ姿だけだったが、これでよかったと思う。正面から撮ればある程度は精巧な木像が必要になるし、何よりこのシーンが滑稽(こっけい)なものになっていた恐れもあった。

(11)洛陽へ向かう司馬懿

司馬懿が司馬昭ら数人だけを伴い、馬車で軍営を離れる。ほどなく郭淮たちが後を追ってくる。司馬懿はみなに別れを告げ、洛陽へ向かう。

管理人「かぶらがわ」より

蜀の巨星たる諸葛亮の死。このドラマや『三国志演義』では、その持ち上げぶりに引っかかるところもありましたが、間違いなく主君に忠義を尽くした人物だと言えます。

なお、有名な「死せる諸葛、生ける仲達(ちゅうたつ。司馬懿のあざな)を走らす」の故事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・諸葛亮伝)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く習鑿歯(しゅうさくし)の『漢晋春秋(かんしんしゅんじゅう)』によるもの。『三国志演義』では第104回に出てきます。

ですがここでの司馬懿の撤退は、後世まで笑われるような判断だったのでしょうか? 司馬懿のほうこそ慎重かつ堅実で、そのために破滅的な失敗がなかったのだと思うのですけど……。
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