『三国志 Three Kingdoms』の考察 第95話「司馬氏、天下を統一す(しばし、てんかをとういつす)」

251年、蜀(しょく)の諸葛亮(しょかつりょう)の陣没から遅れること17年。魏(ぎ)の司馬懿(しばい)も73年の生涯を閉じた。

263年、蜀の劉禅(りゅうぜん)が魏に降伏。その2年後、司馬懿の孫の司馬炎(しばえん)が魏から禅譲を受けて晋(しん)の帝位に即くと、280年には残る呉(ご)を降し、ついに三国統一が果たされた。

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第95話の展開とポイント

(01)洛陽(らくよう)

司馬懿が司馬昭(しばしょう)らとともに、荒れ果てた何進(かしん)の祠堂(しどう)に立ち寄る。

ここで司馬昭が、祠堂の中にあった何進の石碑の碑文を読み上げていた。中平(ちゅうへい)元(184)年に何進が河南尹(かなんいん)から大将軍(だいしょうぐん)に起用されたこと。

そして中平6(189)年8月庚午(こうご)の日、張譲(ちょうじょう)が嘉徳殿(かとくでん)に置いた伏兵によって何進が殺害されたことなど。正史『三国志』では何進が殺された日がはっきりしなかったものの、『後漢書(ごかんじょ)』では庚午の日の2日前にあたる戊辰(ぼしん)の日とあった。

またここで司馬懿が、「あれからはや45年経ったか」とつぶやいていた。このつぶやきから234(189+45)年であることが推測でき、前の第94話(04)で描かれた諸葛亮の死と時期的に矛盾しない。

司馬昭は、三国が鼎立(ていりつ)することになった事の起こりは何進にあると言うが、司馬懿はその見解を否定し、大漢(たいかん)の衰退とそれに伴う皇帝の権力の失墜が根本原因だと話す。

(02)洛陽宮(らくようきゅう)

曹叡(そうえい)が司馬懿を召し、国境(くにざかい)を守ったうえ、蜀軍を破って諸葛亮を死に追いやった功績を高く評価する。

曹叡は司馬懿が高齢であることに触れ、軍の指揮から退かせて太傅(たいふ)に任ずる。

ここで司馬懿が入室する際、曹叡が薬を飲んでいたことに目を光らせていた。こういう細やかな演技は重要だと思う。

(03)司馬懿邸

司馬懿が静姝(せいしゅ)に、もう戦場(いくさば)に出ることはないと告げる。

司馬懿は吉日を選び、静姝を正式に妻として迎える。

ここで司馬懿が静姝に、「占ってみたら、8月コウゴ(庚午? 甲午?)が吉日と出た」と言っていた。この解釈がよくわからない。

諸葛亮が亡くなったのは234年8月23日ということなので、その年の8月中に司馬懿が洛陽まで戻るのは難しそう。しかも234年8月の庚午の日は18日で、諸葛亮の亡くなる前である。甲午の日となると、その24日後になるので9月に入ってしまう。

ちなみに翌235年の8月24日は庚午の日だが、この司馬懿と静姝との結婚話は235年の設定なのだろうか? テキトーに「8月コウゴ」としたわけではないと思うが、どういう意図なのかわからなかった。

(04)洛陽宮

曹叡が曹爽(そうそう)を召し、司馬懿の脅威に対する不安を話す。

曹爽は司馬一族を始末するよう勧めるが、曹叡は百官に働きかけ、司馬懿に摂政の大権を授けるよう求める上奏をさせ、司馬懿の反応を見極めることにする。

曹叡は司馬懿を召し、曹爽とともに政務を執り行い、太子を補佐するよう命ずる。

しかし司馬懿は70歳近くの高齢であることを理由に、大司馬(だいしば)の曹爽と大将軍の夏侯覇(かこうは。夏侯霸)のふたりに政務を執らせるよう進言。

さらに自身に加えて息子の司馬師(しばし)と司馬昭も罷免し、庶民に降格してほしいと願い出る。

曹叡は「その必要はない」と言い、司馬懿に沙汰を待つよう告げる。

ここで出てきた、司馬懿が70歳近い高齢というのは解せない。司馬懿は179年生まれなので、238~239年を想定するなら60歳か61歳にしかならないはず。

司馬懿が退出した後、曹叡は物陰から話を聴いていた曹爽に、司馬懿に天寿を全うさせる考えを伝える。

(05)西暦239年 明帝(めいてい)曹叡崩御(ほうぎょ)

曹叡の崩御に伴い曹芳(そうほう)が即位する。

ここでナレーションが入っていた。「(魏の)景初(けいしょ)3(239)年、第2代魏帝・曹叡が崩御。享年36。幼子の曹芳が帝位を継承した」と。

(06)司馬懿邸

静姝が司馬懿に自身の懐妊を伝える。それを聞き、大喜びしてみせる司馬懿だったが……。

どうもつかみにくかったが、このシーンは前の(05)からだいぶ年月が過ぎたという設定のようだ。

やがて静姝は臨月を迎えるが、難産の末に亡くなり、これを見た司馬懿は倒れる。

その後、曹爽の命を受けた朝臣が司馬懿の見舞いにやってくる。だが、司馬懿は朝臣の呼びかけに反応しなかった。

このときの朝臣が誰なのかわからなかった。李勝(りしょう)か? 曹叡の側近としても登場しており、かなり重要人物のようだが……。

(07)大司馬府

朝臣が曹爽に、司馬懿は意識がなく、今日か明日にも亡くなりそうだと伝える。

それを聞いた曹爽は俸禄800(石〈せき〉)を超える百官に対し、翌日の清明節(せいめいせつ)に高平陵(こうへいりょう。曹叡の陵)に参拝する曹芳への随行を命ずる。

ここでなぜ清明節が出てきたのかがわからず。司馬懿のクーデター発動(正始〈せいし〉の政変)は『三国志演義』、正史『三国志』とも249年1月のこととしている。清明節は陰暦では3月の祭日で春分から15日目にあたり、陽暦では4月の5~6日ごろにあたる。ドラマのオリジナル設定だろうか?

(08)洛陽城

曹芳が曹爽らとともに高平陵へ向かう。

このときの曹芳の馬車が1頭立てだった。天子(てんし)の馬車は6頭立てなのでは? 陵墓を参拝する際には特別の決まりがあったのかもしれないが……。

(09)司馬懿邸

司馬師が司馬昭に、天子の高平陵参拝に俸禄800(石)以上の文官や武将全員が随行し、曹氏一族も付き従ったことを話す。

ふたりが司馬懿の部屋に入ると、危篤だったはずの司馬懿が武装して座っており、彼を慕う将軍も集まっていた。

司馬昭は司馬懿に、曹爽が百官と曹氏一族を引き連れ、天子に随行して高平陵へ参拝に行ったことを伝える。

司馬懿は郭淮(かくわい)を南門へ、孫礼(そんれい)を東門へ、それぞれ向かわせ、兵馬を集めて橋のたもとで指示を待つよう命ずる。

さらに司馬懿は司馬師を屋敷に留め、司馬昭に5千の精鋭をひきいさせ、ともに皇宮(こうぐう)へ向かう。

(10)洛陽宮

司馬懿が郭太后(かくたいごう)に迫り、曹爽討伐の許しを得る。

ここで出てきた郭太后は曹叡の皇后だった明元郭皇后(めいげんかくこうごう)。曹丕(そうひ)の皇后だった文徳郭皇后(ぶんとくかくこうごう)は235年に崩御している。時代を考えれば別人だとわかるが、紛らわしいので注意が必要。

(11)洛陽の郊外

曹芳のもとに使者が着き、郭太后の命を読み上げる。ほどなく司馬懿が兵をひきいて駆けつけ、捕らえた曹爽の背中を裸足で踏みつける。

ここで司馬懿が曹操(そうそう)の言葉を思い出す、という演出には深いものがあった。この足の裏のエピソードは先の第44話(04)で出てきたが、そのときはこういう形でつながるとは思ってもみなかった。

(12)静姝の墓

司馬懿が先に墓参りに来ていた朝臣に、18年前に曹丕が自分に静姝を贈った真意を尋ねる。

曹丕が司馬懿に静姝を贈ったことについては先の第74話(04)を参照。ここでのやり取りからは「220年+18年」と解釈でき、この時点で238年という計算になってしまう。時代が10年以上も合わないが、どう解釈すべきだろうか?

朝臣は、静姝が司馬懿の発言や行動を監視する役目を担っていたことを打ち明ける。さらに、司馬懿が仮病を使って曹爽を騙(だま)した後、静姝の正体を見抜いていたことを悟ったとも話す。

司馬懿は、静姝の正体を見破りながらもいとおしんでいたことを明かす。

また司馬懿は、静姝がそばにいてくれたおかげで、曹丕ら曹氏一族が自分のすべてを把握しているつもりになり、警戒心を緩めたとも言い。もし静姝がいなければ、自分は早々にあの世へ行っていたと結論づける。

最後に朝臣が司馬懿に、静姝の死についての真相を尋ねる。

司馬懿は産婆を丸め込み、出血を促す薬を血を止める薬と偽って飲ませたことを告白。赤子が生まれる前に、血は流れ尽きてしまったとも。

(13)司馬懿邸

学んだことを司馬懿の前で暗唱してみせる(孫の)司馬炎。

そこへ司馬昭がやってきて、司馬懿に呉の太傅の諸葛恪(しょかつかく)が許昌(きょしょう)を攻めており、司馬師が10万の兵をひきいて南下したことを知らせる。

すっかり耳が遠くなった司馬懿も、何度か話を聴いてようやく状況を理解し、司馬昭には都に留まるよう勧める。

司馬懿は司馬炎に暗唱を再開するよう言い、その声を聴きながら亡くなる。

(14)締めくくりのナレーション

西暦251年、司馬懿は72歳で病没。司馬一族はすでに魏の朝政を支配していた。

12年後(263年)、司馬昭が蜀を滅ぼし、劉禅は降伏。

その2年後(265年)、司馬炎は皇帝の位を奪って晋を建国。

西暦280年、司馬炎は呉国を平定し、三国統一を果たす。天下はかくて、司馬一族に帰したのである。

管理人「かぶらがわ」より

ついに来ました最終話。

第74話で静姝が出てきたときは、話が壊れてしまうのではと心配しましたが、そういう感じにはならなかったですね。

この第95話は時代の解釈が難しく、バタバタとまとめられたラストには賛否が分かれると思いますが、こういうやり方もアリでしょう。

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