魏(ぎ)の曹真(そうしん)は曹叡(そうえい)から雍涼(ようりょう)の大軍を託されたものの、蜀軍(しょくぐん)との戦いで目立った成果を上げられずにいた。
そのうち魏将の郝昭(かくしょう)の奮戦むなしく陳倉(ちんそう)が陥落すると、曹真は敗戦の責任を問われることを恐れて一計を案ずる。
第88話の展開とポイント
(01)漢中(かんちゅう) 右将軍府(ゆうしょうぐんふ)
諸葛亮(しょかつりょう)が劉禅(りゅうぜん)への上奏文をしたためる。そこへ姜維(きょうい)がやってきて、趙雲(ちょううん)が亡くなったことを知らせる。
(02)成都宮(せいときゅう)
諸葛亮が劉禅に上奏文を奉呈し、再度の北伐の許しを得る。
★諸葛亮と劉禅とのやり取りの中で、劉禅は今年17歳、諸葛亮は52歳とあった。正史『三国志』によると劉禅は207年生まれなので、この時点(228年)では22歳。諸葛亮は181年生まれなので48歳となるはず。
★また、ここで出てきた上奏文は「後出師(ごすいし)の表」と呼ばれるものだが、諸葛亮の作ではないとの説もある。
(03)曹魏(そうぎ) 洛陽宮(らくようきゅう)
曹叡が曹真を召し、雍涼の軍勢の指揮を命じてからふた月も経つのに、いまだ都に留まっていることを問いただす。
★ここで曹真が曹叡に召されたのは、同じく司馬懿(しばい)が召された数日後という設定になっていた。前の第87話(07)を参照。
曹叡は曹真に、諸葛亮が30万の軍勢をひきいて出兵し、陳倉を目指していることを伝える。
曹真は、曹叡が大都督(だいととく)を解任し、代わりに司馬懿を起用すると言いだしたため、3日のうちに息子の曹爽(そうそう)を連れて赴任することを約束した。
(04)西暦228年 陳倉の戦い
諸葛亮は城への攻撃を10日以上も続けるが、郝昭の激しい抵抗に遭う。
そこへ諸葛亮のもとに、魏の援軍が到着し、陳倉の北50里に陣を布(し)いたとの知らせが届く。
諸葛亮はこの援軍をひきいてきたのが曹真だと聞くと、姜維に偽装投降を命じて欺こうとする。
(05)曹真の軍営
曹真のもとに、姜維から投降を申し入れる書簡が届く。
曹真は、先に曹休(そうきゅう)が呉(ご)の周魴(しゅうほう)に欺かれた一件とは違うと言い、姜維の使いに恩賞を与え、日を決めて諸葛亮を生け捕りにする手はずを整える。
(06)諸葛亮の軍営
約束の日、曹真は姜維の旗を合図に軍営に突入したものの、逆に蜀軍に包囲されて進退窮まる。しかし、曹真が自決を覚悟したところへ曹爽が兵をひきいて駆けつけたため、曹真は危機を脱することができた。
諸葛亮のもとに、魏軍が2万を超える死傷者を出し、南へ逃走したとの知らせが届く。続いて、魏軍の軍営5つを攻め取り戦利品を得たとの知らせも届く。
さらに魏延(ぎえん)が魏の先鋒将軍(せんぽうしょうぐん)の費耀(ひよう)を討ち取り、その首を携えて戻る。
ところが諸葛亮は曹真を取り逃がしたと聞くと、今回の計が功を奏さず残念だと嘆く。
諸葛亮は諸将に、それぞれの陣屋へ戻って1日よく休むよう命じたうえ、翌日、南へ引き返すことを伝える。魏延は大勝後の撤退に異を唱えるが、諸葛亮は兵糧の補給ができなくなっていると告げ、撤退の準備を命じた。
(07)退却中の曹真
曹爽が曹真に王双(おうそう)を紹介し、彼のおかげで重囲を突破できたと話す。
★ここで曹真から出身地を聞かれた王双が、「西涼(せいりょう)です。私の兵馬は西涼の駿馬(しゅんめ)です」と答えていた。通称の西涼でも意味は通ずるのかもしれないが、『三国志演義』(第97回)では王双は隴西郡(ろうせいぐん)狄道県(てきどうけん)の出身とあった。
★またここで曹真が王双に、「しかと尽力いたせば、私が車騎将軍(しゃきしょうぐん)に取り立ててやる」とも言っていた。曹真は実権を握っていたのであり得ないとまでは言えないが、虎威将軍(こいしょうぐん)から車騎将軍への昇進はあまりに破格すぎ、かえっておかしな印象を受ける。
郭淮(かくわい)が曹真に、蜀軍が追撃せず南下しているようだと知らせる。
曹真は蜀軍の兵糧が尽きたとみて、曹爽に兵を預けて北から追撃させ、キ山(きざん。ネ+阝。祁山)のふもとへ出るよう命ずる。
さらに王双に残りの軍勢を預け、約10万の兵をひきいて南から回り込み、陽平関(ようへいかん)へ向かうよう命ずる。
この際、曹真は王双に兵符を預け、陳倉の郝昭にも追撃の兵を出させるよう命ずる。
(08)陳倉
王双が郝昭に会い、曹真の兵符を示して蜀軍の追撃に加わるよう伝える。
★王双は郝昭の前で虎威将軍と称していた。
初めは曹真の命令を拒否した郝昭だったが、兵符を置いていくことを条件に、王双に兵の半分を貸す。
(09)退却中の魏延
魏延が配下の部将とともに、二度の北伐における諸葛亮の采配を非難する。
(10)諸葛亮の軍営
諸葛亮が魏延を呼び、自身への不満を口にしたことをとがめる。魏延が不満を述べ続けたため、諸葛亮は5万の精鋭を預け、曹真の追撃を待ち受けるよう命ずる。
この際にふたりは、魏軍が追撃してこなかった場合は諸葛亮が降格する、魏軍の追撃に敗れた場合は魏延が軍法で裁かれる、という約束を交わした。
魏延が退出したあと諸葛亮は姜維に5万の精鋭を預け、再び陳倉を攻めるよう命ずる。
(11)陳倉
郝昭のもとに、蜀軍に城門を破られたとの知らせが届く。蜀軍が魏軍の鎧(よろい)を着て郝昭の旗を振り、城門を開けさせたのだという。
郝昭が、王双に兵の半分を預けたことが敗因だと聞かされていたところ、その王双が魏延に討ち取られ、追撃していた十数万の兵馬もほぼ壊滅したとの知らせも届く。
続いて、姜維と張苞(ちょうほう)が城内へ攻め入ってきたとの知らせも届き、敗北を悟った郝昭は自決する。
(12)曹真の軍営
腕を負傷した曹爽が曹真のもとに戻り、蜀軍の待ち伏せに遭って惨敗を喫し、王双が戦死したと伝える。そこへ郭淮がやってきて、曹真に陳倉の陥落と郝昭の自決を伝える。
曹真は曹叡に処刑されることを覚悟するが、郭淮は、病に倒れたと称し、司馬懿を起用して諸葛亮にあたらせるよう上奏してみることを勧める。
曹真は郭淮の進言に従い、負傷した曹爽を洛陽へ遣わして自身の保命を図る。
(13)洛陽宮
曹爽が洛陽に到着。曹叡は連敗した曹真の責任を厳しく問うが、皆から助命(というより免罪)を乞われたため、華歆(かきん)に命じて司馬懿を参内させる。
管理人「かぶらがわ」より
郝昭が奮戦の末に自決。負け続ける曹真。蜀の大功臣たる趙雲の死。
曹真はこのドラマや『三国志演義』ではダメっぷりが際立っていますが、正史『三国志』の描かれ方とはかなりの違いがあります。曹真の個別記事もご覧ください。
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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