曹仁(そうじん)の計にはまり、南郡(なんぐん)攻めで不意打ちを食らった周瑜(しゅうゆ)は、自身も毒矢を受けて落馬する。
劉備(りゅうび)は諸葛亮(しょかつりょう)の計に従い、曹仁が城を出て周瑜の陣を攻めている隙を突き、趙雲(ちょううん)に南郡の奪取を命じた。
第47話の展開とポイント
(01)南郡
曹仁らが南郡城を出ていった後、周瑜らが入城する。
しかし、城内には曹操軍(そうそうぐん)の兵士が潜んでおり、周瑜は不意打ちを食らう。その際、周瑜は矢を受けて落馬する。
(02)周瑜の軍営
周瑜の受けた矢に猛毒が塗られていたことがわかる。
★ここで程普(ていふ)が周瑜に尋ねられ、「(先の南郡の敗戦で失った兵は)5千ほどかと思われる」と答えていた。
(03)油江口(ゆこうこう) 劉備の砦
劉備のもとに、曹仁が負けを装って呉軍(ごぐん)を南郡の城内に誘い込み、撃破したとの報告が届く。また、周瑜が矢傷を負い、重篤で床に伏せっているとも伝えられる。
★この時点で孫権(そんけん)の軍勢を呉軍と呼ぶのは、やはり違和感がある。仮に孫権が呉侯だったとしても一県侯にすぎない。確かに呉侯国という国はあるわけだが、その軍勢を呉軍と称するのは、孫権が呉王に封ぜられるあたりまで待ったほうがいい。
(04)周瑜の軍営
曹仁が軍勢をひきいて軍営の前に現れ、周瑜を罵る。周瑜は矢傷を押して陣頭に立つが、吐血して落馬。ここで周瑜は程普らに命じ、そのまま自身の死を装う。
(05)油江口 劉備の砦
劉備のもとに、周瑜がけがを押して戦に立ち、亡くなったとの知らせが届く。しかし、諸葛亮は周瑜の芝居と見抜く。
諸葛亮は劉備に、南郡城の東に軽騎兵の部隊を送り、曹仁が城を離れた隙に奪い取るよう勧める。劉備は「仁義にもとる」と難色を示すが、最終的には諸葛亮に一任した。
(06)周瑜の軍営
曹仁が夜襲を仕掛けたものの、周瑜が生きているのを見て撤退する。
(07)南郡
周瑜が軍勢をひきいて到着したところ、すでに城には趙雲が入っていた。これを見た周瑜は再び吐血して落馬し、皆に軍営に戻るよう命ずる。
(08)周瑜の軍営
程普が周瑜から状況を尋ねられ、自軍が曹仁と戦っている隙に諸葛亮が趙雲を遣わし、自ら兵馬をひきいて南郡を攻め取ったこと。
諸葛亮は陳矯(ちんきょう)を生け捕りにして曹仁の兵符を奪い、加勢の兵を集め、関羽(かんう)と張飛(ちょうひ)にもそれぞれ別の城を奪わせたこと。
これにより、南郡をはじめとする荊州(けいしゅう)の3つの城が劉備の手に落ちたことを伝える。
周瑜は吐血しながらも荊州の奪還を誓い、程普に命じて孫権に3万の援軍を求めるよう手配させる。
(09)襄陽(じょうよう)
劉備が襄陽へ入城する。
★ここで劉備が張飛に、「10万もの兵を擁する呉にとっては、わずか2万の兵しかおらぬ我らは敵ですらない」と言っていた。劉琦(りゅうき)の軍勢5万と江夏城(こうかじょう)はどうなったのだろう。この分は自軍の勘定に入っていないのか?
(10)許都(きょと)
曹操のもとに、周瑜に大敗を喫した曹仁から処罰を乞う書簡が届く。だが曹操は罪を問うどころか、わずかな兵力で孫劉と渡り合った曹仁の戦いぶりをたたえる。
(11)柴桑(さいそう)
孫権のもとに、周瑜から援軍を求める書状が届く。
孫権は状況を分析して荊州の奪還を先延ばしにし、ひとまず周瑜を撤退させたいと考える。その一方、周瑜が命令に従わない可能性を危惧する。
魯粛(ろしゅく)は孫権に、周瑜から兵符を取り上げ、江東(こうとう)で静養させるよう進言。しかし、孫権は兵符を取り上げることに反対する。
そこで魯粛は、周瑜が撤退せざるを得ない一計があると進言する。
管理人「かぶらがわ」より
「劉備、地盤を得る」だった第47話。それも一挙に荊州の三城ですよ。
周瑜は激高しすぎだとは思いますけど、それだけ諸葛亮が彼のいらだつところを突いているということなのでしょうね。
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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