『三国志 Three Kingdoms』の考察 第24話「白馬の戦い(はくばのたたかい)」

199年、曹操(そうそう)は袁紹(えんしょう)と白馬(はくば)の地で激突するも、袁紹配下の顔良(がんりょう)や文醜(ぶんしゅう)の武勇に手を焼いた。

だが、そこへ急きょ許都(きょと)から呼ばれた関羽(かんう)が到着すると、このふたりの猛将をたった一合で討ち取ってみせる。

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第24話の展開とポイント

(01)許都の郊外

曹操が狩りを催し、関羽を招く。この場で曹操は関羽に赤兎馬(せきとば)を贈る。

(02)関羽邸

張遼(ちょうりょう)が関羽を訪ね、酒を酌み交わす。ここで張遼が関羽に、「劉備(りゅうび)どのが亡くなられていたら、そなた丞相(じょうしょう)にお仕えできるか?」と問う。

しかし、関羽は劉備が亡くなっていたときは後を追うと告げ、曹操に仕える意思がないことを話す。

(03)冀州(きしゅう)

許攸(きょゆう)が劉備を訪ね、こう着した戦況を打破するため、明日は一緒に、袁紹に曹操との決戦を勧めるよう頼む。劉備は、袁紹から意見を求められた際は決戦を勧めると応ずる。

いつの間にか糜芳(びぼう)も冀州に来ていたのが気になった。

袁紹は許攸の進言を容れ、前線の顔良と文醜に許都攻めを命ずる。また、数日後には自ら加勢に赴くとも言う。

許攸らが退出した後、田豊(でんぽう)が袁紹に進軍を思いとどまるよう諫める。袁紹は田豊の意見を聴き、顔良と文醜への進軍命令を取り消す。

ところが袁紹は劉備の意見を聴くと、再び顔良と文醜に進軍を命ずる。田豊は袁紹を再度諫めようとしたが、参軍(さんぐん)の職を解かれたうえ、馬丁(ばてい)に降格されてしまう。

(04)許都

曹操自ら軍勢をひきい、袁紹迎撃のため出陣する。関羽は従軍を願い出たものの、曹操の許しを得られなかった。

(05)曹操の軍営

曹操のもとに、黎陽(れいよう)到着直後に顔良の奇襲を受け、リョヘイ(?)とコチョウ(?)が奮戦の末に討ち死にしたとの報告が届く。

ここで顔良に討たれたというふたりの部将はよくわからなかった。

曹操が程昱(ていいく)の進言を容れ、戦場に関羽を召し寄せる。

(06)西暦199年 白馬の戦い

2日後の正午、関羽が曹操のもとに到着する。関羽はたった一合で顔良を討ち取る。

(07)行軍中の袁紹

袁紹のもとに、顔良が関羽に討たれたとの報告が届く。

袁紹は劉備を斬るよう命ずるが、劉備は「敵将の風貌が関羽と似ているというだけで、何ゆえ私を疑われるのですか?」と応ずる。これで袁紹も思い直す。

ここで(馬丁に降格された)田豊が袁紹に進言し、大軍を延津(えんしん)と官渡(かんと)のふた手に分け、敵軍を挟み撃ちにするよう勧める。許攸がこの進言を皮肉ると、袁紹も腹を立て、田豊を棒叩き50回の刑に処す。

ここで田豊が先の(03)で袁紹から言われた通り、(馬丁として)馬を引いて従軍していた。ドラマの制作者側のこだわりが感じられる。

袁紹は名乗りを上げた文醜の出撃を許し、翌日の正午に5万の兵をひきいて敵を迎え撃つよう命ずる。袁紹自身も戦場に赴き、士気を鼓舞するとも言う。

ここでまたも田豊が進言したので、袁紹は斬るよう命ずる。だが皆が助命を乞うたため、袁紹は田豊を冀州へ護送し投獄するよう命ずる。

(08)白馬

文醜が徐晃(じょこう)と張遼のふたりと同時に渡り合う。関羽がふたりに代わって文醜に挑み、顔良同様に一合で討ち取る。この際、劉備が関羽の姿を確認する。

(09)袁紹の軍営

袁紹に問罪された劉備が弁明し、密書を送って関羽を呼び寄せると述べる。

(10)許都 関羽邸

関羽のもとを密かに糜芳が訪ね、劉備の書簡を届ける。

関羽は、翌日に曹操に暇(いとま)乞いをしたうえで、二夫人とともに劉備のもとへ急ぐと返答する。

管理人「かぶらがわ」より

袁紹の優柔不断ぶりが目立った第24話。いくら勢力が大きくても総帥がこれでは……。諫言を続ける田豊の姿が痛々しい。

顔良と文醜をバッサリやってしまった関羽。ところが、このピンチをチャンスへと変える劉備。このあたりはうまく話ができていたと思います。

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