『三国志 Three Kingdoms』の考察 第77話「張飛、殺害される(ちょうひ、さつがいされる)」

221年、漢(かん)を簒奪(さんだつ)した魏(ぎ)の曹丕(そうひ)に対抗し、蜀(しょく)の劉備(りゅうび)も帝位に即いた。

劉備は関羽(かんう)の仇(あだ)を討つべく、呉(ご)の孫権(そんけん)討伐に向かおうとするが、諸葛亮(しょかつりょう)や趙雲(ちょううん)らは難色を示す。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

第77話の展開とポイント

(01)成都(せいと) 李厳邸(りげんてい)

劉備から意見を求められた李厳も帝位に即くよう勧める。

ここで李厳が劉備に、「王が井戸だとすれば、天子(てんし)はさらに深い井戸だと言えましょう……」と言っていた。

劉備は李厳の話を聴き、帝位に即く決意を固める。そして李厳を蜀郡太守(しょくぐんたいしゅ)に任じ、諸葛亮を補佐して蜀の政(まつりごと)をつかさどるよう命ずる。

(02)西暦221年 劉備 蜀漢(しょくかん)を建国

劉備が帝位に即く。

ここでナレーションが入っていた。「建安(けんあん)26(221)年4月、劉備は『蜀漢』を建国し、正式に帝位に即いた」と。

この場で劉備は初めての詔(みことのり)を下し、呉の討伐を命ずる。

(03)成都宮(せいときゅう)

趙雲が劉備に呉への出兵を思いとどまるよう諫言。姿を見せた諸葛亮も賛意を示し、ひとまず呉への出兵を見合わせるよう進言する。

劉備はふたりの意見を聴き、呉の討伐を見合わせる。しかし、討伐の準備だけは進めておき、その機をうかがうとも告げる。

ここで劉備が諸葛亮と趙雲に、「文官の頭は丞相(じょうしょう)で、武将の頭は子竜(しりょう。趙雲のあざな)である……」と言っていた。諸葛亮の丞相就任についての説明がなく唐突だったが、それ以上に趙雲が武将の頭だというのはどうだろう? この時点では張飛(ちょうひ)も健在だが……。

(04)建業(けんぎょう)

諸葛瑾(しょかつきん)が孫権に間諜(かんちょう)からの情報として、劉備が帝位に即き、呉の討伐を命じたことを伝える。

ほどなく孫権のもとに、諸葛亮が劉備を制し、呉の討伐を止めたとの知らせが届く。

このときの孫権の冠(玉飾りが9旒〈りゅう〉ある)から、ドラマでは呉王(ごおう)の設定だと思わせるが……。

(05)閬中(ろうちゅう) 張飛の軍営

文官が張飛を訪ね、劉備が呉の討伐を見合わせたことを伝える。張飛は文官を問い詰め、諸葛亮が出兵に反対したことを聞き出す。

張飛を訪ねてきた文官が誰なのかわからなかった。張飛配下の部将から「先生」と呼ばれていたので、それなりにエラい人物だと思われるが……。

ここでは張飛がしっかりと老けた感じになっていた。

(06)成都宮

張飛が劉備のもとに駆けつけ、呉への出兵を懇願。劉備は諸葛亮を非難する張飛をなだめ、数日休んだら閬中へ戻り、軍を整えるよう伝える。

しかし、関羽の仇討ちについては少し考える時間がほしいと言い、張飛を失望させる。

劉備が李厳に素早く兵を動かすことで呉を攻略したいとの考えを話し、意見を求める。

李厳は賛意を示したうえ、太傅(たいふ)の許靖(きょせい)と右将軍(ゆうしょうぐん)の黄権(こうけん)を交え、3日間にわたり話し合った結論として。

仮に各郡県で実入りの6割の税を集め、男たちの3人に1人を徴兵できれば、この秋以降に新たに25万前後の兵と150万石(ごく)の兵糧を確保できるとの見通しを伝える。

喜ぶ劉備に李厳は、諸葛亮が6割の課税と3人に1人の徴兵に反対しているとも付け加える。

劉備は詔を下して李厳に権限を授ける考えを示し、黄権とともに兵士25万と兵糧150万石を年内にそろえるよう命ずる。

(07)李厳邸

李厳が李豊(りほう)に、劉備の前で呉の討伐に賛同したことを話す。

前の第76話(10)では字幕による紹介がなかったが、このシーンではあった。やはり李厳の息子の李豊だった。

(08)丞相府

馬謖(ばしょく)が諸葛亮に、劉備が李厳らの上奏を容れ、6割の課税と3人に1人の徴兵に同意したことを伝える。

(09)閬中 張飛の軍営

張飛が命令を果たせなかった范疆(はんきょう)と張達(ちょうたつ)を、鞭(むち)打ち200回の刑に処す。

このときの命令とは、5日以内に3万の白旗と白衣をそろえるというもの。

鞭打ちが終わると、張飛はふたりに改めて3日の猶予を与え、3万の白旗と白衣をそろえるよう厳命する。

ここで張飛の幕舎に入ってきた范疆と張達が、張飛のことを「大将軍(だいしょうぐん)」と呼んでいた。

その夜、范疆と張達は相談のうえ張飛の寝首を搔(か)く。

(10)成都宮

呉班(ごはん)が閬中から劉備のもとに駆けつけ、昨夜、范疆と張達が張飛を殺害し、その首級を持って呉に降ったことを伝える。これを聞いた劉備は倒れてしまう。

(11)建業

孫権が張飛の首を持ってきた范疆と張達を投獄し、成都の周囲に偵察兵を送り込むよう命ずる。

ここで范疆と張達が孫権のことを「呉王」と呼んでいた。

(12)成都宮

劉備と文武百官が張飛を弔う。

ここで張飛の位牌が出てきたが、上部の左側の3文字は読み取れなかった。右側には「漢(かん)」とあるようだ。

この件についてFC2ブログ時代(2011年3月~2015年4月)に藝蘭急行さんからご助言を頂いた。ここは「西郷侯(せいきょうこう)」とあるとのこと。どうもありがとうございます。

管理人「かぶらがわ」より

関羽に続く張飛の死。正史『三国志』にも書かれているので仕方ありませんが、ここまでの活躍からするとあまりにもあっけない最期でした。

まぁ、この件は范疆と張達だけが悪いわけじゃなく、張飛にも非があったと思います。

とはいえ、関羽と張飛がいなくなると――。劉備の周辺は寂しい感じになりますね。

コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます

タイトルとURLをコピーしました