『三国志 Three Kingdoms』の考察 第50話「長沙の戦い(ちょうさのたたかい)」

劉備(りゅうび)から長沙(ちょうさ)攻めの許しを得た関羽(かんう)は、わずか500の手勢だけをひきいて出撃する。

ところが長沙には黄忠(こうちゅう)という高名な老将がおり、その弓術は神業と呼べるものだった。

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第50話の展開とポイント

(01)長沙

関羽が500の手勢をひきいて到着。韓玄(かんげん)配下のヨウ将軍(楊齢〈ようれい〉のことか?)が関羽に挑むも、あっさりと討ち取られる。

続いて関羽が黄忠と一騎討ちを行う。関羽は黄忠を森へ誘い出し、首に刀を突きつけるまで追い詰めたものの、その命を助ける。

韓玄は配下の文官から、黄忠が関羽に敗れたうえ情けまでかけられたと聞き、黄忠が裏切る可能性を指摘される。

ここで文官から、劉備が武陵(ぶりょう)を取った経緯を思い出すよう言われた韓玄が、「従事(じゅうじ)の鞏志(きょうし)が張飛(ちょうひ)に感化され、寝返り投降。太守(たいしゅ)の金旋(きんせん)を後ろから弓で射抜き、後には主の座を引き継ぎ、武陵の太守となった」と言っていた。

これに関連するシーンがなかったのは不可解だったが、武陵攻略の過程はドラマの設定に反映されているようだ。

翌日、関羽は再び黄忠と一騎討ちを行う。黄忠は矢をつがえずに弦だけ鳴らし、その後で矢を放ったものの、わざと外す。

城内に戻った韓玄は関羽との内通を疑い、黄忠を捕らえて斬首を命ずる。

ここで韓玄が黄忠に、「今日の戦いでも二度空弓(からゆみ)を引き、三度目はわざと外したな……」と言っていた。一騎討ちのシーンでは黄忠が二度、空弓を引いたことまではわかりにくかったと思う。

刑場のシーンで首を挟むギロチン風の刑具が登場していた。時代的に合っているのだろうか?

魏延(ぎえん)が刑場に乱入し、黄忠の処刑をやめさせる。魏延は刑場にいた兵士たちに蜂起するよう呼びかける。

ここで魏延に賛同した兵士たちが「蜂起!」と連呼していた。このかけ声には違和感があった。何だか正義のないただの謀反だと、自ら認めているように聞こえる。何かほかのかけ声にしたほうが良かったと思う。

魏延は黄忠の制止に従わず、韓玄を斬殺。

ここで魏延が韓玄に、「何度も戦功を立てた私に褒美を出さぬどころか、罪もないのに罰し、副校尉にした……」と言っていた。副校尉という官職がよくわからなかった。

劉備が諸葛亮(しょかつりょう)らとともに入城する。

(02)黄忠邸

劉備が黄忠を訪ね、配下に加わるよう説得。黄忠は説得を受け入れたうえ、旧主の韓玄をナン山(なんざん。南山?)に手厚く葬る許しを得る。

(03)長沙 太守府

諸葛亮は不忠不義だとし、魏延を斬るよう兵士に命ずるが、劉備の口添えで助命する。

劉備は諸葛亮の進言を容れ、魏延に金500を与えたうえ前軍副将(ぜんぐんふくしょう)に任ずる。

劉備のもとに、劉琦(りゅうき)が危篤との知らせが届く。

(04)襄陽(じょうよう)

劉琦が病死する。

諸葛亮は劉備に、劉琦の死を伏せずに孫権(そんけん)に知らせ、すべての兵馬を軍営に戻して隠すよう進言。劉備は進言を容れ、関羽に手配を命ずる。

(05)孫堅(そんけん)?の墓前

魯粛(ろしゅく)が孫権に劉琦の死を伝える。

先の第15話(05)とは墓地のロケーションが異なる。改葬したのか?

ここで孫権が魯粛に、合肥(ごうひ)での戦いで張遼(ちょうりょう)に連敗し、4千余りの兵を失ったうえ、太史慈(たいしじ)も亡くしたことを語っていた。

管理人「かぶらがわ」より

意地を張り、手勢だけで長沙へ乗り込む関羽。老いてなお盛んな黄忠。あっさりと主君を斬る魏延。

配下に黄忠と魏延を抱えていた韓玄。彼がもう少しデキる人だったら、長沙はもっと粘れていたかもしれません。

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