劉備(りゅうび)は荊州(けいしゅう)南部にある4郡の攻略に乗り出し、幸先よく零陵太守(れいりょうたいしゅ)の劉度(りゅうど)を降す。
さらに張飛(ちょうひ)が武陵(ぶりょう)の攻略に成功すると、桂陽(けいよう)攻めを任された趙雲(ちょううん)も難なく太守の趙範(ちょうはん)を降し、あとは長沙(ちょうさ)を残すのみとなった。
第49話の展開とポイント
(01)零陵
邢道栄(けいどうえい)が手はず通りに劉備に内応すると見せかけ、劉備軍を城内へ引き入れたうえで攻撃する。
劉賢(りゅうけん)と邢道栄は逃げ出した劉備軍を追撃。劉備を捕らえたかに思えたが、これは劉備に扮(ふん)した別人だった。ほどなく張飛らが反撃に転じ、劉賢を生け捕る。
★このあと邢道栄がどうなったのかよくわからなかった。
翌朝、劉度が城門の前で劉備を出迎える。
★ここで劉備の軍列に「関」の旗が見えた。関羽(かんう)は荊州で留守を預かっていたのでは? まぁ、関平(かんぺい)が従軍していたという設定もアリか……。
劉度は無事に戻った劉賢に促され、劉備に太守の印綬(いんじゅ)を差し出す。しかし、劉備は引き続き劉度を零陵太守とする。
★ここで劉備が劉度に、零陵で有名だというホウカシュ(酒らしい)をごちそうしてほしいと話していた。
(02)劉備の軍営
零陵に続く桂陽攻めに、趙雲と張飛が名乗りを上げる。
★ここは前の第48話(07)で馬良(ばりょう)が劉備に進言した攻略順(零陵→武陵→桂陽→長沙)と異なっている。
ここでは劉備が皆に、「南部についてはまず零陵。次に桂陽。最後に長沙と武陵を陥せばよい」と言っていた。やはり馬良の進言した順番とは違う。と思っていたら、後の(04)で武陵の話にも触れていた。武陵攻めのシーンがなかっただけらしい。
それでも馬良が進言した攻略順にはおかしいところがある。襄陽(じょうよう)から南下した場合、最も近いのは武陵となる。その後、零陵、桂陽と南下を続け、最後に長沙というのが無理のない順番だと思う。
劉備はどちらが桂陽へ向かうかクジで決めるよう言い、諸葛亮(しょかつりょう)は、ふたりに両方ハズレのクジを引かせたうえで趙雲を指名する。
その夜、趙雲は諸葛亮を訪ね、桂陽行きを取り計らってくれた理由を聴く。諸葛亮は、ひいきではなく大局を見ての判断だと答え、趙雲も納得する。
(03)桂陽
趙雲が3千の兵をひきいて到着。城の前で陳応(ちんおう)と一騎討ちを行う。
★陳応は趙範(ちょうはん)配下の校尉(こうい)という設定。
★ここでは槍(やり)だけで十分戦えるはずなのに、青釭剣(せいこうけん)まで取り出す趙雲。青釭剣は、趙雲が長坂坡(ちょうはんは)の戦いで夏侯恩(かこうおん)から奪った名剣。先の第36話(03)を参照。
★陳応が刺股、刀の次に使ったソウスイという武器。巨大なダンベルのようなものかと思ったら、両端の重りの部分が別々になる構造だった。これが鎖でつながっているらしい。
趙雲は陳応を城外の林に追い詰めたものの殺さず、城に帰って趙範に投降を勧めるよう伝える。城に戻った陳応は、太守の趙範に投降を勧める。
★このとき趙範配下の武官のひとりが、「太守、陳将軍がかなわぬ相手に勝てるはずがありません。やはり投降が賢明かと」と言っていた。陳応は将軍ではなく校尉だったはず。将軍と校尉では格が違うので、このあたりのテキトーなセリフに違和感がある。
鮑竜(ほうりゅう)がこの場を収め、2日後に趙範が投降することで話をまとめる。
★『三国志演義』(第52回)では武官(管軍校尉〈かんぐんこうい〉)として登場する「鮑隆」だが、このドラマでは「鮑竜」とあり文官という設定。ちなみに吉川『三国志』(第169話)では「鮑龍」とあり、『三国志演義』と同様に武官という設定。
趙範は劉備に投降した後、趙雲を城内に招く。
この席で同郷(常山郡〈じょうざんぐん〉真定県〈しんていけん〉)のふたりは義兄弟の契りを結ぶ。一方で鮑竜は、ふたりが酒を飲んでいるうちに城門の閉鎖を命ずる。
その後、酒に酔って倒れた趙雲は、趙範の亡兄が使っていたという閨(ねや)で目を覚ます。趙範は趙雲に(今は未亡人となっている)兄嫁を引き合わせ、娶(めと)ってほしいと頼むが、趙雲は礼儀に反するとして拒む。
趙範は場所を変え、趙雲に曹操(そうそう)に仕えるよう説き始める。趙雲は室外に飛び出すと、鮑竜らの包囲を突破して城門までやってくる。
そのような中で趙範のもとに、陳応が城門を開けて趙雲を逃がしたとの知らせが届く。趙範は太守の印綬を持って逃げようとしたが、すぐに趙雲に包囲されてしまう。
★陳応は校尉でも中軍校尉(ちゅうぐんこうい)という設定。ただ『三国志演義』(第52回)では、陳応も鮑隆と同じく管軍校尉とある。
(04)零陵
劉備が荊州から関羽を呼び寄せ、長沙攻めを命ずる。関羽は手勢500だけをひきいて長沙へ向かう。
★ここは趙範が趙雲に追い詰められたシーンからいきなりの場面転換。ということで、桂陽の話は消化不良な感じ。
★ここで諸葛亮が関羽に、「子竜(しりょう。趙雲のあざな)が桂陽を、翼徳(よくとく。張飛のあざな。正史『三国志』では益徳〈えきとく〉)が武陵を攻めた折には3千のみひきいたが……」と言っていた。やはりこの時点で張飛が武陵を攻略したことになっているが、関連するシーンがなかったのでわかりにくかった。
管理人「かぶらがわ」より
荊州の南部4郡の攻略を着々と進める劉備。この地域の太守は小粒な印象がありますね。
それにしても張飛の武陵攻めのところ、バッサリ切りすぎですよ……。ほかとのバランスを欠いていて乱暴だと感じました。
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