『三国志 Three Kingdoms』の考察 第31話「的驢、壇渓を飛ぶ(てきろ、だんけいをとぶ)」

荊州(けいしゅう)に居座る劉備(りゅうび)を目の敵(かたき)とする劉表(りゅうひょう)配下の蔡瑁(さいぼう)は、あくまで彼を除くべく部将たちを動かす。

劉備は劉琦(りゅうき)のおかげで襄陽(じょうよう)から逃げ延びたものの、その行く手を壇渓(だんけい)の激流が阻む。

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第31話の展開とポイント

(01)襄陽

蔡瑁が部将たちに命令を下し、客殿に泊まっている劉備を襲撃する手はずを整える。

ここで蔡瑁が「キョウ将軍」「ゴウ将軍」「ソウ将軍」という3人の姓を挙げて指示を与えていた。この3人についてはよくわからなかった。

(02)客殿

劉琦が劉備を訪ね、蔡瑁が兵を動かしていることを伝えたうえ、すぐに新野(しんや)へ帰るよう促す。

蔡瑁らが客殿に乗り込んだものの劉備の姿はなく、すでに馬で去った後だった。蔡瑁は部屋の壁に荊州の乗っ取りをほのめかす詩を書き、劉備が書き残したように装う。

やがて劉表が来てその詩を見たが、後で詳しく調べるとして、蔡瑁に引き揚げるよう命ずる。

(03)襄陽

蔡瑁が蔡氏に劉備を取り逃がしたことを報告。蔡氏は、怒ったせいで劉表の病がぶり返したと話し、薬に細工して回復を遅らせると告げる。

(04)新野

劉琦が劉備を訪ね、2日後の荊州の祭りに同席してほしいと頼む。劉備は張飛(ちょうひ)の反対を退け、護衛の趙雲(ちょううん)を連れて襄陽へ向かう。

(05)襄陽

劉備が城内で男に声をかけられ、求めに応じて自分の馬を見せる。男は劉備の馬を見て的驢(てきろ)だと言い、災いをもたらす馬だと忠告する。

劉備が災いを避ける方法を尋ねると、男は「急いでこの馬を敵(かたき)に譲るのです。そして敵に災いをもたらした後、的驢を取り戻して乗ればよろしい。これですべて丸く収まるでしょう」と答える。

劉備はこの返答にあきれ、男と別れる。

劉琦が劉表に代わって取り仕切り、祭りを催す。劉備と護衛役の趙雲も同席する。

祭りの最中、蔡瑁が再び兵を動かし劉備を狙う。劉琦は劉備にこのことを伝え、裏門から逃げるよう強く促す。ちょうど趙雲がそばを離れていたため、劉備は単騎で裏門から城外へ逃げる。

(06)壇渓

劉備が的驢で壇渓を跳び、蔡瑁らの追手を振り切る。

この第31話のタイトルでは「的驢、壇渓を飛ぶ」としており、ここもそうしたほうがいいのだろうが、「飛ぶ」より「跳ぶ」のほうがふさわしい気もする。ちょっとだけ変えてみた。

(07)水鏡の庵(すいきょうのいおり)

劉備が箏(そう。琴)の音に誘われ、とある庵を訪ねる。住んでいたのは水鏡先生で、劉備に壇渓の逸話を聞かせる。

また、水鏡先生は酒食を振る舞い、劉備の陣営に軍師が欠けていることを指摘したうえ、臥竜(がりょう)と鳳雛(ほうすう)の存在をほのめかす。

劉備は水鏡先生に助力を頼むが、年だからと断られる。しかし水鏡先生は、時期を待つように、とも告げる。

その夜遅く、徐庶(じょしょ)が水鏡先生を訪ねてきて劉備とも出会う。劉備は先に襄陽で話した男だと気づく。劉備は徐庶も加え、水鏡先生と3人で語り合う。

ここで徐庶が新野で聴いた民謡として、「新野牧(しんやぼく)の劉皇叔(りゅうこうしゅく)、おいでになって民豊か」という一節を挙げていた。新野は南陽郡(なんようぐん)に属する一県にすぎない。新野令(しんやれい。新野県令)ならともかく、新野牧というのはヘンだろう。

劉備が水鏡先生の助言も得て、徐庶を軍師に迎える。ほどなく趙雲が劉備の行方を捜し当て、庵に駆けつける。

(08)新野

徐庶が皆に、30日後に曹操(そうそう)が荊州の実力を測るための部隊を送り込んでくると告げる。関羽(かんう)らはいぶかるが、劉備は徐庶の策に従い、皆に曹操軍への備えを命ずる。

(09)許都(きょと)

曹操が荊州の劉備攻めを決める。

管理人「かぶらがわ」より

「的驢、跳んだよー」だった第31話。劉琦は劉備の危機を呼び寄せたり、はたまた危機から救ったりと、つかみどころのないキャラですね。

劉備は水鏡先生の庵にたどり着けてラッキーでした。何と言っても徐庶の加入が大きい。

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