『三国志 Three Kingdoms』の考察 第92話「木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)」

諸葛亮(しょかつりょう)は北伐のたび問題になる蜀軍(しょくぐん)の兵糧輸送について、かつて臥竜岡(がりょうこう)で暮らしていたころ考案した木牛流馬(もくぎゅうりゅうば)を実用化することで解決を図る。

この話を聞きつけた魏(ぎ)の司馬懿(しばい)は、司馬昭(しばしょう)と孫礼(そんれい)に命じて木牛流馬を奪い取らせ、同じ物を作って自軍の兵糧輸送に用いるが――。

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第92話の展開とポイント

(01)蜀漢(しょくかん) 成都(せいと)

諸葛亮がキ山(きざん。ネ+阝。祁山)の軍営へ向けて出発。劉禅(りゅうぜん)は百官とともに城門で軍列を見送る。

ここで劉禅が諸葛亮に、「相父(しょうほ)はこの10年のうちにごたびもキ山へ。もう体も無理が利かぬ。くれぐれも大事にせよ」と言っていた。

(02)魏延(ぎえん)の軍営

魏延のもとに、魏から投降した前軍の偏将軍(へんしょうぐん)の鄭文(ていぶん)が連れてこられる。

このドラマにおける「鄭文」の「鄭」は字体違い。1画目と2画目の向きが違っており、「ハ」が逆さまになっている字形。

鄭文は魏延に、秦朗(しんろう)が武功城(ぶこうじょう)を捨てた罪を自分にかぶせ、手柄のほうはひとり占めしたことを話す。

そのため司馬懿は秦朗を前将軍(ぜんしょうぐん)に昇進させ、自分には死罪を科したとも。

命乞いをして死罪は免れたものの、司馬懿に武功城を取り戻すよう命ぜられた。しかし魏延が相手では勝ち目がないとみて、投降するに至ったのだと。

魏延は鄭文の投降を偽りと判断し、首を刎(は)ねるよう命ずる。ところがそこへ、「将軍の秦朗」と称する者が兵をひきいて攻め寄せ、鄭文との一騎討ちを望んでいるとの知らせが届く。

鄭文は魏延の許しを得て秦朗と一騎討ちを行い、数合で討ち取る。魏延は鄭文の見方を改め配下に加える。

ここで鄭文は砦というか、城から出撃していた。このカットは各所で別の場所として使い回されていたため、どうしても観ていて違和感がある。

魏延は鄭文から、司馬懿が隴西(ろうせい)の本営にはおらず、司馬昭や5千の鉄騎とともに北原(ほくげん)にいることを聞く。

魏延は北原を奇襲すると言いだすが、馬岱(ばたい)は諸葛亮が不在の間、決して軍勢を動かすなと命ぜられていることを指摘。それでも魏延は考えを変えず、やむなく馬岱も従う。

馬岱は久しぶりの登場。

(03)キ山 諸葛亮の軍営

諸葛亮が参軍(さんぐん)の楊儀(ようぎ)を伴い到着する。

ここで諸葛亮が皆に、楊儀を古い友人と紹介していたが……。

王平(おうへい)が諸葛亮に、昨夜、魏延が2万の鉄騎をひきい、北原へ討伐に出たことを伝える。

諸葛亮は鄭文が投降してきた話を聞き、偽者と思われる秦朗を討ち取ったことも含めて計略だと告げる。

楊儀は、司馬懿が北原にいるというのも偽りだろうと言い、諸葛亮も同意。

諸葛亮は姜維(きょうい)と王平に騎兵を預け、ただちに紫石谷(しこくや)へ向かい、魏延らを救い出すよう命ずる。

(04)紫石谷

魏延らが魏の伏兵から攻撃を受ける。馬岱は左腕を負傷。魏延は逃げようとした鄭文を矢で仕留める。

山上から戦況を見ていた司馬懿は司馬昭に谷口をふさぐよう命じ、魏延を討ち取りにかかる。

ここで司馬懿が司馬昭に、「3年前、諸葛亮は剣閣道(けんかくどう)に兵を置き、張郃(ちょうこう)を殺(あや)めた……」と言っていた。先の第89話(10)を参照。

そこへ姜維と王平ひきいる蜀の援軍が駆けつける。司馬懿は諸葛亮が来ていないとみると、全軍に突撃を命ずる。

(05)諸葛亮の軍営

魏延らが紫石谷から戻る。諸葛亮は、命に背いて出陣し数千の精鋭を失ったことを問責。魏延と馬岱に80回の棒刑を言い渡す。

しかし王平がふたりの奮戦ぶりを話し、楊儀も口添えしたため、諸葛亮は今回の刑を免ずる。

姜維が諸葛亮から魏軍の様子を尋ねられ、司馬懿が隴西の本営へ戻ったことを伝える。3つある堅固な砦から当分は出てこないだろうとも。

諸葛亮は魏延と馬岱に、兵をひきいて司馬懿を挑発するよう命ずる。

(06)隴西 司馬懿の軍営

魏延と馬岱は兵士たちに魏軍を罵らせるが、10日続けても反応はない。

(07)諸葛亮の軍営

諸葛亮が楊儀を呼び、司馬懿に書簡と女物の衣を届けさせる。

(08)司馬懿の軍営

司馬懿が楊儀と会い、諸葛亮の書簡と女物の衣を受け取る。

孫礼は激怒して楊儀に剣を突きつけるが、司馬懿は笑って受け流す。そればかりか贈られた衣を羽織ってみせる。

腹を立てた諸将が退出した後、司馬懿は楊儀と酒を酌み交わし、諸葛亮の食事や睡眠、公務について尋ねる。

楊儀は諸葛亮が忙しくしていることを話す。

(09)諸葛亮の軍営

諸葛亮は楊儀から司馬懿の様子を聞き、自分の考えが見破られたことを悟る。

さらに、兵糧を運んでくるはずの李豊(りほう)が予定を3日過ぎても到着しないことに気をもむ。

(10)司馬懿の軍営

孫礼らが司馬懿に出陣を許可するよう懇願。しかし司馬懿は許さず、堅く守り、戦わぬことが勝利への道だと諸将を諭す。

(11)兵糧運搬中の李豊

3日前の豪雨による土石で、李豊が進路をふさがれる。李豊はヒャクジョウ山(?)を越える小道を通り、できる限りの兵糧を担いで運ぶよう命ずる。

(12)諸葛亮の軍営

李豊が到着。李豊は諸葛亮に、道が土石でふさがったため、兵士たちに兵糧を担いで運ばせたことを伝える。

諸葛亮は、25年前に臥竜岡で設計した木牛流馬を思い出す。諸葛亮は図面を見せたうえで楊儀に命じ、陣中の職人に300台造らせて兵糧の運搬に用いる。

(13)司馬懿の軍営

司馬昭が司馬懿に、剣閣の桟道が土石で崩れたため、蜀軍は兵糧を担いでヒャクジョウ山を越えるしかなく、崖から落ちて死者も出ており、拒馬寨(きょばさい)で立ち往生していると伝える。

司馬懿は司馬昭に5千の兵を預け、拒馬寨付近に潜み、蜀軍がキ山の本営へ兵糧を運び込むところを襲うよう命ずる。加えて、拒馬寨を焼き払えとも。

(14)拒馬寨

司馬昭が孫礼とともに蜀の輜重(しちょう)部隊を襲撃。蜀軍が兵糧の運搬に用いていた木牛流馬を持ち帰る。

ここで蜀軍が使っていたのは木牛だけだった気がする。ただ正史『三国志』でも、木牛や流馬の構造には不明な点が多い。

(15)司馬懿の軍営

司馬懿が郭淮(かくわい)に命じ、蜀軍から奪ってきた木牛流馬と同じ物を造らせ、自軍の兵糧運搬に用いる。

ここで孫礼が司馬懿に、「千斤の荷が積めるのに、車輪がひとつあるきり。人が通れる道は、これも通れます……」と言っていた。積載可能量は何を根拠にしているのかわからなかった。

管理人「かぶらがわ」より

鄭文の偽装投降に引っかかり、数千の精鋭を失う魏延。相変わらず兵糧に苦しむ蜀軍。

打開策として木牛流馬の投入を決断する諸葛亮。結局、いつも兵糧のことが問題になっています。やはり常に守る形の魏のほうが有利ですよね。

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監督:ガオ・シーシー 脚本:チュウ・スージン 国内販売元:エスピーオー
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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