吉川版『三国志』の考察 第095話 「火か人か(ひかひとか)」

董承(とうじょう)に仕える召し使いの慶童(けいどう)の密告により、そのすべてが露見した曹操(そうそう)毒殺計画。

実行役である太医(たいい)の吉平(きっぺい)は凄惨(せいさん)な拷問を加えられた末に自害し、曹操の命令で董承邸の捜索が強行されると、献帝(けんてい)の密詔や血判状も見つかってしまった。

第095話の展開とポイント

(01)許都(きょと) 董承邸(とうじょうてい)

曹操(そうそう)は強いて董承に面会すると、昨夜の宴に欠席した理由を尋ねる。昨年からの痼疾(こしつ。長く治らない病気)のため、心ならずも欠席したと答える董承。

すると曹操は笑って、「卿(けい)の痼疾は吉平(きっぺい)に毒を盛らせたら癒えるものであろう」と言う。震え恐れる董承。語尾はかすれて歯の根も合わない。

ここで曹操が武士に命ずると、この場に吉平が連れてこられる。30余人の獄吏と兵士は、客堂の階下に物々しく引き据えた。

井波版『三国志演義』(第23回)では、このとき吉平を引き据えたのは20人の獄卒。

吉平が罵り続けたため、曹操は残っている9本の指をみな斬り落とすよう命ずる。だが、吉平はひるむ色を見せず、9本の指を斬られてもなお、口で賊を呑み、舌で賊を斬ると叫ぶ。

このとき吉平の指が1本欠けているのは、董承に、他言しないとの誓いを血をもって示したため。先の第93話(02)を参照。

曹操が「その舌を引き抜いてしまえ!」と大喝すると、吉平は初めて絶叫し、縄を解いてくれれば首謀者を突き出してみせると言う。

そこで縄を解かせると、吉平は大地に座り直し、禁門(宮門)のほうに向かって両手をつかえる。そして、涙を流しながら再拝したあと言った。

「臣、不幸にしてここに終わる。実に極まりもございませんが、天運、なんぞ悪逆に敗れん。鬼(死者)となっても禁門を守護しておりますれば、時至る日を御心(みこころ)広くお待ちあそばすように」

これを聞いた曹操は雷火のように立ち上がり、「斬れ!」と怒鳴ったが、兵士が跳びかかる前に吉平は頭を階(きざはし)の角に叩(たた)きつけて死んでしまった。

続いて慶童(けいどう)を引き出すと、董承の吟味に入る。

「慶童」については先の第93話(02)を参照。

初めのうちは董承も曹操の厳問を拒否していたが、自家の召し使いの慶童が、そばからいろいろな事実を挙げるので言い抜けることができず、とうとう床に伏してしまう。

董承が手ずから慶童を成敗しようとすると、曹操は董承に縄を与えるよう命ずる。兵士たちが一斉に躍りかかり、たちまち縄を掛け欄階にくくりつけた。

曹操は、1千余の兵士に命じて邸内の各舎を家捜しさせ、血の密詔と御衣や玉帯、一味の名を書き連ねた血判の義状を見つけ出し、ひとまず丞相府(じょうしょうふ)へ引き揚げる。董家の男女はひとり残らず捕らえられ、府内の獄に押し込められた。

(02)許都 丞相府

曹操は献帝(けんてい)の血詔と義盟の連判状を示し、今の天子(てんし)を除き、ほかの徳ある天子を立てたいと話す。

しかし荀イク(じゅんいく)は諫め、許都の中興は天子を奉戴(ほうたい)したからこそできたことだと指摘。あなた自身が朝廷の破壊者となったら、その日から大義名分はなくなり、天下があなたを見る目は一変すると告げる。

井波版『三国志演義』(第24回)では、このとき曹操を諫めていたのは「程イク(ていいく。日+立)」。

曹操は彼の言葉を聞き入れたが、その一方で、董承・王子服(おうしふく)・呉子蘭(ごしらん)などの一党とその家族ら合わせて700余人は都の巷(ちまた)を引き回したうえ、一日のうちにみな斬殺してしまった。

(03)許都 宮中

董承の娘である董貴妃(とうきひ)は、深窓にあるうちから美人の誉れがあった。

ここで出てきた「董貴妃」は『演義』(第24回)では「董承の妹」とある。ただ、范曄(はんよう)の『後漢書(ごかんじょ)』(伏皇后紀〈ふくこうごうぎ〉)には、吉川版『三国志』と同じく「董承の娘」とあった。

召されて宮中に上がり献帝の寵幸を賜ってから、やがて身は懐妊の喜びを抱いていた。虫の知らせなのか、その日、董貴妃は何となく落ち着かない。絶えず胸騒ぎのようなものを覚えていた。

そこへ献帝が伏皇后を伴い彼女を見舞う。折ふし宮中が騒然として、曹操が武士たちを引き連れて後宮へ乗り込んでくる。

曹操が血の密詔のことを問いただすと献帝は魂を天外に飛ばし、龍顔(天子の顔)は蒼白(そうはく)となり、わななく唇から声も出なかった。

曹操が董貴妃を門外に引き出して斬るよう命ずると、献帝と伏皇后はのけ反るばかりに驚き、万斛(ばんこく)の涙を流し憐憫(れんびん)を乞うた。

しかし、曹操は頑として聞かない。

董貴妃も足元に伏し転(まろ)び、自分の命は惜しまないが、胎内の御子を産み落とすまで生きることを許してほしいと、慟哭(どうこく)して訴えた。

曹操の感情も極端に紛乱していたものの、結局は聞き入れず、ひと筋の練帛(ねりぎぬ)を取り寄せて董貴妃の目の前に突きつける。斬られるのが嫌なら自決せよという、酷薄無残な宣告だった。

董貴妃は、泣いて練帛を手に受ける。

献帝が悲嘆に狂乱して叫ぶ中、曹操は強いて豪笑しながら、さすがにそこの悲鳴と号泣には耳をふさぎ目をそらし、大股(おおまた)に立ち去った。

その日、董承と親しくしていた何十人という宮内官が、みな逆党の与類と号され、あなたこなたで殺刃を被る。

曹操は禁門を出るとただちに直属の兵3千を遣り、「御林(ぎょりん)の軍(近衛軍)」と称して諸門に立たせ、その大将に曹洪(そうこう)を任命した。

管理人「かぶらがわ」より

董承らの誅殺計画が露見し、激発した曹操により関係者は皆殺しにされてしまいました。

ただ、徐州(じょしゅう)に出ていた劉備(りゅうび)と西涼(せいりょう)に帰っていた馬騰(ばとう)は、この難を逃れているのですよね……。

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