【姓名】 曹演(そうえん) 【あざな】 ?
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
曹純(そうじゅん)の息子、平楽郷侯(へいらくきょうこう)
父は曹純だが、母は不詳。息子の曹亮(そうりょう)は跡継ぎ。
210年、曹演は曹純が死去したため跡(高陵亭侯〈こうりょうていこう〉か?)を継いだ。
その後は領軍将軍(りょうぐんしょうぐん)まで昇り、正元(せいげん)年間(254~256年)には平楽郷侯に移封された。
曹演が死去(時期は不明)すると息子の曹亮が跡を継いだ。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・斉王紀〈せいおうぎ〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く王沈(おうしん)の『魏書』によると――。
254年9月に司馬師(しばし)が群臣と連名で郭太后(かくたいこう。明元郭皇后〈めいげんかくこうごう〉)に曹芳(そうほう)の廃位と斉国への帰藩を上奏した際、武衛将軍(ぶえいしょうぐん)・安寿亭侯(あんじゅていこう)として曹演の名が見えています。
曹演が曹純の跡を継いでから、当然ながら移封もあったようです。平楽郷侯に移封されたのは正元年間とあるので、この上奏後のことだと考えれば話は合いますね。
コメント ※下部にある「コメントを書き込む」ボタンをクリック(タップ)していただくと入力フォームが開きます