『三国志 Three Kingdoms』の考察 第10話「董卓の死(とうたくのし)」

董卓(とうたく)は諸大臣を引き連れた王允(おういん)から禅譲の勅書を受け取り、得意の絶頂に登る。

だがこれは王允らの計略で、董卓は万楽宮(まんらくきゅう)において呂布(りょふ)の手で誅殺された。

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第10話の展開とポイント

(01)王允邸

陳宮(ちんきゅう)が王允を訪ねる。続いて呂布も王允を訪ねてくる。

王允は陳宮とともに、呂布に董卓を討つよう焚きつける。呂布は天子(てんし。献帝〈けんてい〉)の勅書を奉じて董卓を討つ決意を固める。

(02)郿塢(びう)

李儒(りじゅ)が董卓に、皇太后(こうたいごう)が帝位の禅譲を申し出ていると伝える。

そこへ王允が大臣たちを引き連れて現れ、董卓に禅譲の勅書を手渡す。続いて呂布も現れ、董卓に謝罪する。

その2日後、董卓は即位の儀式に臨むべく長安(ちょうあん)へ向かう。

(03)万楽宮

董卓が到着すると、王允が董卓誅殺の勅書を読み上げる。その場に呂布が赤兎馬(せきとば)で乗り込み、董卓を討ち取る。

王允が献帝に董卓を誅殺したことを報告する。

献帝は勅命を下し、王允を太師(たいし)に任じて政(まつりごと)を行わせる。また呂布をチュウギ侯(忠義侯?)に封じ、奮威将軍(ふんいしょうぐん)の位を授ける。

王允の太師とともに、呂布の爵位らしいチュウギ侯もよくわからず。

(04)郿塢

呂布が貂蝉(ちょうせん)を娶(めと)る。

(05)万楽宮

朝議の席で陳宮が王允に、董卓配下の部将だった李傕(りかく)と郭汜(かくし)に投降を勧めるよう進言する。しかし王允は聞き入れず、呂布に彼らの討伐を命ずる。

(06)李傕らの軍営

李傕らは王允が投降を受け入れないと知り、結束して長安へ攻め入ることを決める。

(07)長安の城門

李傕と郭汜らの軍勢が攻め寄せる。

(08)王允邸

陳宮が王允に、李傕や郭汜らの軍勢が城内に侵入したことを知らせる。また、陳宮は天子と皇太后を城外へ連れ出すよう勧めるが、王允は聞き入れなかった。

(09)長安城内

王允が李傕らに迫られ、城門から飛び降りて死ぬ。

ここで献帝がアップになるシーンがあった。冠の玉飾りが9旒(りゅう)しかないが、天子は12旒。こういうところにもこだわってほしかったので、ちょっと残念。

(10)郿塢

陳宮が呂布に、長安の陥落と王允の死を伝える。呂布は陳宮と手を組み、貂蝉を連れて長安を離れることにする。

(11)西暦193年 徐州(じょしゅう)

陶謙(とうけん)のもとに、曹操(そうそう)の父の曹嵩(そうすう)が来たとの知らせが届く。兗州(えんしゅう)へ向かう途中だという。陶謙は一行を手厚くもてなすよう命ずる。

ここで陶謙が息子に徐州の状況を話した際、「北の袁紹(えんしょう)、東の袁術(えんじゅつ)……」というフレーズが出てきた。「北の袁紹」はいいが、「東の袁術」はよくわからない。徐州の東は海だ。

(12)華県(かけん)

陶謙から護衛を命ぜられていた張闓(ちょうがい)が、曹嵩らを殺害して金品を奪ったうえ行方をくらます。

(13)兗州

曹操のもとに、曹嵩が張闓に殺害されたとの知らせが届く。

(14)徐州

陶謙のもとにも、張闓が曹嵩らを殺害して逃げたとの知らせが届く。

管理人「かぶらがわ」より

董卓死す、おまけに王允まで死す。ようやく権力を握ったのに長続きしませんね。その一方、呂布はめでたく貂蝉を娶ることができました。

しかし、もと黄巾賊(こうきんぞく)の張闓が護衛というのはまずかった。陶謙、一生の不覚か。

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