『三国志 Three Kingdoms』の考察 第57話「周瑜の死(しゅうゆのし)」

周瑜(しゅうゆ)は病を押して荊州(けいしゅう)へ出兵するが、すでに十分な備えを整えていた劉備軍(りゅうびぐん)に大敗。

さらに柴桑(さいそう)へ引き揚げてから危篤に陥り、自身の後任に魯粛(ろしゅく)を推して亡くなる。

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第57話の展開とポイント

(01)襄陽(じょうよう)

魯粛が持ち出した南郡(なんぐん)と江夏(こうか)からの立ち退き要求に、諸葛亮(しょかつりょう)が難色を示す。

魯粛は劉備に、荊州の返還を早期に実現するため西蜀(せいしょく)の攻略を急ぐよう求める。

ところが劉備は、劉璋(りゅうしょう)を討つことはできないと、怒って席を立つ。

ここで魯粛が劉備と諸葛亮に、劉備が孫権(そんけん)から荊州を借り受ける約束をしたのは2年前だと言っていた。

諸葛亮は魯粛に、劉璋が劉備と同族であることを理由に挙げ、西蜀への出兵を先延ばしにしようとする。

そこで魯粛は諸葛亮に、孫権が劉備の代わりに出兵して西蜀を攻略し、西蜀と引き換えに荊州9郡を返してもらうという提案をする。これを諸葛亮も承諾。

(02)柴桑

魯粛が周瑜を訪ね、劉備との会談の結果を伝える。周瑜は魯粛に、すでに孫権から荊州への出兵許可を得たことを話す。

(03)襄陽

劉備のもとに孫権から書状が届き、西蜀への出兵計画を知らせてくる。諸葛亮はその書状を見せてもらい、周瑜の「道を借りて虢(かく)を討つの計」を看破する。

(04)柴桑

周瑜が病を押して軍勢をひきい、荊州へ向かう。

(05)襄陽

周瑜が襄陽を攻めたものの、すでに備えを整えていた劉備軍に大敗する。

(06)周瑜の軍営

周瑜から外の様子を尋ねられた呂蒙(りょもう)が、不意を突かれてなすすべもなく、兵の3割を失ったこと。そして今や劉備軍に四方を囲まれていることを伝える。

そこへ周瑜に諸葛亮から書状が届く。周瑜は書状の内容を読み上げるよう言い、これを聴き終えた後、諸葛亮が空けた東南の道を通って撤退するよう全軍に命ずる。

このあと襄陽から撤退する際、周瑜が馬車を降り、「これが私の生涯、最初にして最後の失敗であろう……」と言っていた。赤壁(せきへき)の戦いの後、うまく劉備に南郡を取られていたが……。

(07)柴桑

危篤に陥った周瑜が、孫権にこれまでの横暴な振る舞いを詫び、孫策(そんさく)亡き後の家臣たちの動揺を抑えるため、やむを得ないことだったと打ち明ける。

周瑜は後任の大都督(だいととく)として魯粛を推薦した後、息を引き取る。

ここで周瑜が孫権に、孫策が亡くなってから10年経ったことを話していた。「天は周瑜を生みながら、なぜ諸葛亮も生んだのか!」の名ゼリフは、周瑜の死の間際でしっかり使われていた。

周瑜の死については、「名将周瑜はその大志を果たせぬまま、36歳の若さで生涯を閉じた」とナレーションでまとめていた。

(08)魯粛邸

孫権が魯粛を訪ね、周瑜の死と、彼が後任の大都督に魯粛を推薦したことを伝える。

管理人「かぶらがわ」より

この第57話は周瑜の死という重要な出来事を扱っていましたが、うまくまとまっていたと思います。ここではナレーションが効果的でしたが、もっと全体的にナレーションを増やしても良かったのではないかとも感じました。

説明がくどくなりすぎるのはまずいですが、テレビ放送やネット配信を想定した作品なら、各話の始めと終わりにナレーションを入れたほうがわかりやすかったのではないでしょうか。

それでもここまで見た限り、独特の雰囲気がよく出ていると思います。やはり本場というか、何とも言えない味がありますね。

一方でCGの使い方など、雑な部分も見受けられます。役者さんのはまり具合がいいだけに、細かいところまでこだわってほしかったです。

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監督:ガオ・シーシー 脚本:チュウ・スージン 国内販売元:エスピーオー
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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