曹操(そうそう)の専横を憂えていた少府(しょうふ)の耿紀(こうき)らは、同志を募って襲撃を計画する。
そして決行当日、手はず通りに五鳳楼(ごほうろう)の馬小屋から火の手が上がるが、曹操は曹丕(そうひ)や曹彰(そうしょう)らの活躍によって事なきを得た。
第69話の展開とポイント
(01)許都(きょと) 白馬門(はくばもん)
荀彧(じゅんいく)に制止された曹植(そうしょく)が、丁儀(ていぎ)に命じて門を突破しようとしたところ、ちょうど曹操がやってくる。
曹操は曹植の頰を平手で打つが、曹植ではなく門番を処刑するよう命ずる。荀彧が皮肉を言うと、曹操は許褚(きょちょ)に命じて白馬門を取り壊させる。
曹操らが去ったあと荀彧はその場に倒れ、少府の耿紀に助け起こされる。
(02)丞相府(じょうしょうふ)
曹操が、程昱(ていいく)に果物が入っているという箱を持たせ、病に伏した荀彧を見舞うよう命ずる。
(03)荀彧邸
程昱が荀彧を見舞い、曹操から預かった箱を置いて帰る。
程昱が帰ったあと荀彧が箱を開けてみると、中には果物など入っておらず空だった。これを見た荀彧は曹操の真意を悟り、剣を執り自害する。
曹操が曹丕を伴い荀彧を弔問する。
★ここで曹操が荀彧の活躍を振り返っていた。興平(こうへい)元(194)年の陶謙(とうけん)征伐、張邈(ちょうばく)の謀反、建安(けんあん)5(200)年の官渡(かんと)の戦い、この3項目に言及。
★また、ここで曹丕が供物を入れてきた箱が、先に程昱が荀彧に届けた箱と似ていた。細かいところだが、意図的にそうしたのなら深みのある設定だと思う。
(04)耿紀邸?
耿紀が同志を集め、五鳳楼で曹操を襲撃する手はずを整える。
(05)五鳳楼
真夜中、手はず通りに馬の餌小屋から火の手が上がる。衛兵が火を消している隙に、耿紀は同志をひきいて突入する。
曹操は許褚の報告を受け、無理にこの場を動かないことにし、五鳳楼を守り抜くよう命ずる。
(06)曹丕邸
曹丕のもとに城内で火事が起きたとの知らせが届く。曹丕は下僕を集めて五鳳楼へ向かい、途中で曹彰と合流する。
(07)五鳳楼
曹丕や曹彰らの活躍によって反乱は鎮圧され、首謀者の耿紀が捕らえられる。
★ここで曹操が耿紀に、「コウショウキョウ。ひとつそなたに聞かせてほしい……」と言っていた。「コウ」は「耿(耿紀の姓)」だと思うが、「ショウキョウ」の意味がわからなかった。あざなや官職だろうか?
(08)曹丕邸
司馬懿(しばい)が曹丕を訪ね、無事を確認する。一方で司馬懿は、五鳳楼へ一番に駆けつけたという曹丕に、曹操が謀反の画策を疑っているだろうと指摘して立ち去る。
★五鳳楼へ駆けつけた曹操の息子は曹丕と曹彰のふたり。曹植は文人仲間と酒を飲み、酔っていて駆けつけなかったという設定。
(09)丞相府
程昱が曹操に、耿紀に加担した者を全員捕らえて処刑したと報告する。
★ここで程昱は耿紀のほかに、司直(しちょく)の韋晃(いこう)、太医(たいい)吉平(きっぺい)の子の吉邈(きっばく)と吉穆(きっぼく)、ほか名家の子弟、キンキ(金禕?)ら50人余りと報告していた。
曹操は程昱に、まだ捕らえていない者もいるとして、ひとり残らず厳しく調べ上げ、残党を見つけ出すよう命ずる。
また曹操は程昱に、五鳳楼へ助けに来なかった曹植に、近衛軍をひきいて鄴城(ぎょうじょう)をエイシュ(?)せよとの命を伝えさせる。
(10)許宮(きょきゅう)
曹操が百官を集め、耿紀や韋晃らが五鳳楼に火を放った際の行動を尋ねる。賊を討とうとした者は赤旗のもとへ、出なかった者は白旗のもとへ行けというもの。
曹操は司馬懿や楊修(ようしゅう)ら、白旗のもとに集まった者には金20両を与えて職務に戻らせる。
その一方、赤旗のもとに集まった者は全員捕らえるよう命じ、ショウガ(漳河?)まで連れ出して首を刎(は)ねさせる。
★ここで漳河を持ち出していたが、許宮の近くに漳河はない。おそらく許都と鄴とを混同している。『三国志演義』(第69回)では官僚たちを鄴に護送したうえ、赤旗(紅旗)と白旗の展開に持ち込んでいるため、漳河が出てきても矛盾がない。このドラマでは、百官を鄴ではなく許宮に集めたことにしたため矛盾が生じたのだと思う。
★また、曹操の冠には玉飾りが9旒(りゅう)しかなかった。前の第68話(06)の内容と異なっている。天子(てんし。献帝〈けんてい〉)と同格の12旒の冕冠(べんかん)を賜ったという設定のはずでは?
曹操が曹丕に五鳳楼へ駆けつけた理由を詰問。曹丕は「私は父王(曹操)に疑われようと、お命を守りたかったのです」と答える。
曹操は五鳳楼での行いを見ていたこともあり、曹丕に世継ぎとすることを告げる。
曹操は司馬懿を呼び、曹丕を世継ぎと定めたことを伝えたうえ、その補佐を頼む。
曹操のもとに漢中(かんちゅう)の曹洪(そうこう)から急報が届く。黄忠(こうちゅう)が2万の軍勢をひきいて要害を攻め取り、甚大な死傷者が出ているというもの。また、堅牢な関所も破られたということで、援軍を求めるとも。
★これを聞いた司馬懿が曹操に、「劉備(りゅうび)は何としても王になるつもりです。目下、蜀(しょく)と荊州(けいしゅう)を占め、その兵馬は100万を下らず、将軍も千人を超えます……」と言っていた。
正史『三国志』を見れば、劉備軍100万などというのはあり得ないことがわかる。赤壁(せきへき)の曹操軍83万と同様、『三国志演義』によるかさ上げと理解し、あくまでドラマの設定と割り切って楽しみたい。
司馬懿は曹操に、漢中にて曹仁(そうじん)が10万の軍勢で敵をおびき寄せる隙に、曹操自ら30万の軍勢をひきいて南下し、荊州を取るよう献策する。
曹操は司馬懿の策を評価したうえで手直しし、曹仁のほうが10万の軍勢をひきいて南下し、樊城(はんじょう)に駐屯して荊州を攻め取る。そして自ら30万の軍勢をひきい、漢中で劉備を迎え撃つことを決める。
曹操は司馬懿に漢中への従軍を命ずる。そこで司馬懿は孫権(そんけん)に書状を送り、ともに出兵して荊州を取ろうと持ちかけるよう進言。これを曹操が容れる。
★ここで曹操が合肥(ごうひ)で孫権を破ったことに触れていた。
(11)益州(えきしゅう) 成都(せいと)
劉備が皆に全軍で漢中へ攻め入ることを宣言する。諸葛亮(しょかつりょう)は荊州での有事を想定し、全軍を挙げての出撃を憂慮したが、劉備は聞き入れなかった。
(12)揚州(ようしゅう) 柴桑(さいそう)
陸遜(りくそん)が孫権に、曹操から荊州への出兵を求める書状が届いたことを伝える。さらに、劉備からも曹操を攻めてほしいとの書状が届いたとも伝える。
陸遜は孫権に、双方に応じておき、兵は出さないよう勧める。孫権は進言を容れたうえ、双方に兵糧10万を要求することを決める。
孫権は陸遜を副都督(ふくととく)に任じ、屈強な勇士を召集して騎馬隊1万と歩兵1万を調練し、今後に備えるよう命ずる。また、双方から届くはずの兵糧20万をすべて陸遜に渡すとも伝える。
(13)漢中
黄忠が夏侯淵(かこうえん)の砦を攻める。
管理人「かぶらがわ」より
悲壮な荀彧の死。相手が悪すぎた耿紀の死。そして、とうとう曹丕が王太子に――。
曹操と劉備の直接対決が迫ってきました。益州を取った後の劉備は勢いがありますね。
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監督:ガオ・シーシー 脚本:チュウ・スージン 国内販売元:エスピーオー
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。
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