『三国志 Three Kingdoms』の考察 第67話「劉備、益州を領す(りゅうび、えきしゅうをりょうす)」

214年、劉備(りゅうび)は張魯(ちょうろ)のもとを離れて帰順した馬超(ばちょう)の働きもあり、ついに成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降す。

さらに漢(かん)の朝廷から正式に益州牧(えきしゅうぼく)として認められ、劉璋の旧臣を積極的に登用していく。

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第67話の展開とポイント

(01)葭萌関(かぼうかん)

張飛(ちょうひ)と馬超が兵士にたいまつを持たせ、改めて一騎討ちを行う。その間に諸葛亮(しょかつりょう)が西門から葭萌関へ入る。

諸葛亮は劉備が馬超を気に入っている様子を見て、彼を投降させるべく一計を案ずる。

(02)漢中(かんちゅう)

簡雍(かんよう)が楊松(ようしょう)を訪ね、劉備からの贈り物を届ける。そのうえで劉備が張魯を漢寧王(かんねいおう)に推挙する旨を伝え、出征中の馬超を陥れるよう頼む。

先の第30話(05)では簡雍の字(あざな)を「憲和(けんわ)」と字幕で紹介していたが、ここでは「憲和(けんか)」となっていた。ルビが揺れている。

楊松が張魯に、馬超は劉備と通じていると讒言(ざんげん)する。張魯は讒言を信じ、曹操(そうそう)が来襲したとの名目で馬超に帰還を命ずる。

(03)馬超の軍営

馬超のもとに張魯から帰還命令が届く。

ここで馬岱(ばたい)が馬超に、「あり得ない。曹操は荊州(けいしゅう)で孫権(そんけん)と交戦中。漢中を攻めるはずがありません……」と言っていた。この時点では関羽(かんう)が荊州を取り仕切っていたはず。荊州のどこで曹操と孫権が交戦していたという設定なのか? よくわからないセリフだった。

続いて馬超のもとに、またも張飛が現れたとの知らせが届く。馬超は馬岱に張魯への返書を書かせ、葭萌関を攻め落としてから帰ると伝えさせる。

(04)漢中

張魯のもとに馬超の返書が届く。馬超は返書の中で即時の帰還を拒否したうえ、武器や兵糧の補給を求めていた。

張魯は楊松を馬超のもとに遣わし、「戻らずともよいが、ひと月の間にこの3つを成せ」と伝えさせる。「蜀を取る」「劉璋の首を取る」「劉備を倒す」。この3つすべてを遂げねば兵糧を絶つというもの。

(05)馬超の軍営

楊松が馬超を訪ね、張魯の書簡を渡す。やむなく馬超は楊松に、すぐに戻ると張魯に伝えさせる。

(06)漢中

馬超が張魯の命令に従い、葭萌関から撤退する。ところが張魯は、馬超がわずか3日ですべての軍勢を漢中に戻したことをいぶかる。

ここで再び楊松が馬超を讒言する。張魯は関所を守る兵を増やし、馬超を城内に入れないよう命ずる。

(07)漢中の関所

葭萌関から引き揚げてきた馬岱が、武装した軍勢をひきいての通過を拒否される。

ここで出てきた関所。先の第25話(09)の沂水関(きすいかん)と同じものだと思う。使い回しなのか?

(08)馬超の軍営

馬超のもとに左腕を負傷した馬岱が戻る。

ここで馬超が馬岱に、自身と張魯の娘との縁談を楊松が阻んだことを話していた。

馬超が進退窮まったところに諸葛亮が訪ねてくる。馬超は説得を受け入れ、馬岱とともに劉備に帰順する。

ここで諸葛亮が馬超に、「かつてイキョウ(?)で敗れ、冀城(きじょう)を失った。同様の失態を繰り返せば、将軍は天下に顔向けできません」と言っていた。ドラマではこのあたりのこと(馬超が関中〈かんちゅう〉で曹操に敗れ、漢中の張魯のもとに身を寄せるまで)に触れておらず、同様の失態と言われてもわかりにくい。

(09)成都

馬超が大軍をひきいて現れ、劉璋に開城を迫る。

劉璋のもとに、東門の兵士たちが投降し、劉備軍が城内に入ってきたとの知らせが届く。

(10)西暦214年 成都陥落

劉璋が開城し、劉備に投降する。

黄権(こうけん)が劉備の説得を受け入れて登用に応ずる。これには、劉備が黄権に見せた龐統(ほうとう)の遺書も効いた。

龐統は遺書の中で黄権を「蜀随一の能臣」と評価し、劉備に黄権を恨むことなく登用するよう強く勧めていたのだった。

劉備は黄権を右将軍(ゆうしょうぐん)に任じ、蜀の民政をつかさどるよう命ずる。

(11)西暦214年 劉備 蜀を取る

成都に勅使が到着。

劉備は益州牧に、関羽は盪寇将軍(とうこうしょうぐん)・漢寿亭侯(かんじゅていこう)に、張飛は征虜将軍(せいりょしょうぐん)・新亭侯(しんていこう)に、趙雲(ちょううん)は鎮遠将軍(ちんえんしょうぐん)に、黄忠(こうちゅう)は征西将軍(せいせいしょうぐん)に、馬超は平西将軍(へいせいしょうぐん)に、それぞれ任ぜられる。

諸葛亮は勅使とともに正面に姿が見えたが、劉備の姿はなかった。ずっと龐統の位牌の前に座っていたという設定なのか? 勅使が詔(みことのり)を読み上げる場にいないのは失礼だろう。諸葛亮の立ち位置と向きも、勅使に対して無礼だと思う。

また、例によって龐統の位牌の上部は読み取れなかった。

劉備が、法正(ほうせい)が作成して諸葛亮も承認したチコクジョウレイ(治国条例?)について、刑罰の軽減化と法の簡略化を否定したうえ、諸葛亮に再提出を命ずる。

このあとナレーションが入っていた。「このとき諸葛亮は悟った。劉備はかつての主君ではなく、一国を治める真(まこと)の君主になったのだと」

(12)荊州 襄陽(じょうよう)

関羽のもとに劉備の使者が到着。荊州の兵士向けに黄金500斤、銀1千斤、銅銭5千万、真綿1千斤、緞子(どんす)500斤などが届けられる。

『角川 新字源 改訂新版』(小川環樹〈おがわ・たまき〉、西田太一郎〈にしだ・たいちろう〉、赤塚忠〈あかつか・きよし〉、阿辻哲次〈あつじ・てつじ〉、釜谷武志〈かまたに・たけし〉、木津祐子〈きづ・ゆうこ〉編 KADOKAWA)によると、緞子は「練り糸で織った上等の絹織物。厚地で光沢がある」とあった。ならば端(たん)・匹(ひつ)・疋(ひき)といった長さの単位を使うべきで、斤という重さの単位はふさわしくないと思う。

関平(かんぺい)が関羽に、劉備が五虎大将軍(ごこだいしょうぐん)を設けて関羽を筆頭に置いたことや、関羽が漢寿亭侯に封ぜられたことを伝える。

関羽は五虎大将軍の中に、帰順したばかりの馬超が含まれていることに不満を感ずる。そこで関平を成都へ遣わし、劉備に書状を届けさせる。

ここで関羽は黄忠を「英雄である」と評価しており、馬超ひとりに不満を示したという設定になっていた。

なお、吉川『三国志』(第226話)では馬超を「亡命の客将」、黄忠を「すでに老朽の好々爺(こうこうや)」とし、ふたりに不満を示している。そして『三国志演義』(第73回)では馬超を代々の名門であると認め、黄忠ひとりに不満を示していた。この三者の描き方の違いは興味深い。

(13)成都

劉備のもとに関羽の書状が届く。劉備は諸葛亮にも書状を見せ、関羽が馬超と腕比べをしたがっていると伝える。諸葛亮は関羽の真意を読み解き、一筆書いて関平に持たせると告げる。

(14)揚州(ようしゅう) 柴桑(さいそう)

魯粛(ろしゅく)が孫権に、劉備に荊州返還を要求するための使者として諸葛瑾(しょかつきん)を薦める。

孫権は一計を案じ、諸葛瑾の親類縁者をみな捕らえ、牢に入れるよう命ずる。

管理人「かぶらがわ」より

またひとり、勇将馬超を加える劉備。馬岱のほうも結構やれます。

で、その馬超の加入にスネる関羽。まぁ、ここは古参の武人として黙っていられなかったのでしょう。

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