『三国志 Three Kingdoms』の考察 第71話「骨を削り毒を除く(ほねをけずりどくをのぞく)」

219年、関羽(かんう)は樊城(はんじょう)郊外で曹操(そうそう)配下の龐徳(ほうとく)と一騎討ちを行った際、左腕に毒矢を食らってしまう。

ほどなく矢傷が悪化したため、関羽は華佗(かだ)という名医の治療を受ける。

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第71話の展開とポイント

(01)西暦219年 樊城の戦い

龐徳が柩(ひつぎ)を用意したうえ、皆の前で翌日に関羽と決戦することを宣言。

(02)揚州(ようしゅう) 柴桑(さいそう)

孫権(そんけん)が、曹操からの荊州(けいしゅう)への出兵要請について皆の意見を聴く。

呂蒙(りょもう)は、今回は曹操と手を結んで荊州を取るべきだと進言する。

しかし陸遜(りくそん)は、勢いづく劉備軍(りゅうびぐん)に敵対するのは不利だと言い、関羽の娘と孫権の息子との縁組みを提案する。

(03)荊州 関羽の軍営

関羽のもとに、曹操軍が樊城へ向かっているとの知らせが届く。曹操軍は進路を7手に分けており、総数は8万ほど。その先陣は30里で関所に着くとのこと。関羽は大将が于禁(うきん)だと聞いて笑う。

諸葛瑾(しょかつきん)が関羽を訪ね、孫権の息子と関羽の娘との縁組みを申し入れる。

ところが関羽は大笑いし、「虎の子を狗(イヌ)の子などにやれるはずがあろうか?」と答えて諸葛瑾を追い返す。

関羽は関平(かんぺい)に命じて精鋭を集めさせ、龐徳を討ったのち2日以内に曹操の援軍をすべて降し、樊城を攻め取ると伝える。

この方針を聞いた馬良(ばりょう)は、精鋭部隊をすべて呼び寄せると荊州が手薄になると諫め、陸口(りくこう)にいる呂蒙の水軍の動きに警戒を促す。

それでも関羽は孫権を侮り考えを変えず、川沿い20里置きにのろし台を築き、警備兵を置くことで対処しようとする。

(04)柴桑

諸葛瑾が孫権のもとに戻り、縁組みについての関羽の返答を伝える。

陸遜が孫権に偵察兵からの情報として、関羽が5万の精鋭を荊州から呼び寄せ、自ら曹操の援軍を討ちに出るようだと伝える。

孫権は陸口の呂蒙に、川を渡って荊州を攻めるよう伝えさせる。

(05)樊城の郊外

関羽が龐徳と一騎討ちを行う。関羽は龐徳を落馬させたものの、彼の放った毒矢を左腕に受けてしまう。

(06)関羽の軍営

関羽は自ら刺さった矢を引き抜くと、手当てを受けてすぐに周囲の地形を見に行く。

(07)于禁の軍営

関羽は于禁が谷に砦を築いているのを見て一計を案じ、関平に命じて筏(いかだ)と武器を準備させる。

関羽は罾口川(そうこうせん)に関を造らせ、雨を待って決壊させる。このため于禁の軍営は洪水に見舞われた。

(08)関羽の軍営

于禁が捕らえられ、関羽の前に引き出される。関羽は于禁が助命を乞うのを見て、荊州へ護送するよう命ずる。

同じく龐徳も捕らえられ、板に縛りつけられた状態で関羽の前に引き出される。龐徳は投降を拒んだため、関羽は周倉(しゅうそう)に処刑を命ずる。

このあたりは龐徳の奮戦ぶりがイマイチ描ききれていない感じ。

関羽は馬良に、この勢いで追撃して樊城を陥すよう命ずる。馬良は何日か兵士を休ませるよう勧めるが、関羽は聞き入れなかった。

関羽が龐徳から受けた矢傷が悪化。馬良と関平は荊州へ戻るよう勧めるが、関羽は聞き入れようとしない。

『三国志演義』(第74回)では、一連の樊城がらみの戦いにおいて関羽は二度矢を受けており、一度目に龐徳から受けた矢は毒矢とは書かれていない。華佗に治療してもらったのは、二度目に樊城で毒矢を受けた後のこと(第75回)である。このドラマでは、やや龐徳を貶(おと)す設定になっていた。

馬良が関平に、名医の華佗がこの近くに来ているらしいと話す。これを聞いた関平は自分で迎えに行く。

華佗が関羽の左腕を診察し、治療方法を説明する。関羽は華佗の話に納得し、馬良と碁を打ちながら荒療治を受ける。

馬良が華佗に、関羽に傷の養生のため荊州へ戻るよう勧めてほしいと頼む。華佗が関羽に伝えたところ、関羽は華佗に軍医として留まってほしいと頼む。

華佗は、戦の傷を治すのは本意ではないと明かし、少しでも多くの民を救うために自分の力を使いたいと述べる。

関羽はその思いに敬意を表したうえ、礼として黄金100両を贈ろうとしたが、華佗は受け取らなかった。

華佗は、傷の治療が済んでも養生が必要だと言い、むやみに怒らず100日は安静にしないともと通りにはならないと伝え、荊州へ戻るよう勧める。だが、やはり関羽は聞き入れなかった。

華佗は馬良に、関羽の矢傷は問題ないが、驕(おご)り高ぶる病のほうがずっと重く、自分にも治しようがないと告げて立ち去る。

(09)陸口 呂蒙の軍営

呂蒙が対岸に築かれた関羽ののろし台を見た後、突然倒れる。

(10)柴桑

孫権が陸遜を呼んで呂蒙が病で倒れたことを伝え、代わりに指揮を執るよう頼む。陸遜が、呂蒙の病は関羽を惑わせるための計だろうと話すと、孫権も呂蒙の計だと明かす。

陸遜は呂蒙の代わりを引き受けるが、関羽を斬って劉備の恨みを買わないように、とも進言する。孫権は進言を容れ、荊州を取ったら守りに徹し、決して関羽を追撃しないようにと、陸遜から呂蒙に伝えさせる。

(11)樊城

関羽が樊城攻めに加わる。そこへ呂蒙が病を患い、陸遜に大都督(だいととく)の代わりを務めさせているとの知らせが届く。

関羽は関平に命じ、荊州に残していた1万の精鋭を呼び寄せる。

(12)のろし台

呂蒙配下の精鋭が急襲し、のろし台を占拠。後方に待機していた呂蒙は長江(ちょうこう)を渡るよう命じ、荊州へ攻め入る。

管理人「かぶらがわ」より

于禁らの援軍を水攻めで屠(ほふ)る関羽。助命を乞うた于禁と処刑された龐徳。そして華佗の荒療治。

そうしている間にしたたかな動きを見せる呂蒙。のろし台は効果なし。このときの関羽は周りが見えなくなっている感じでしたね。

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