ドラマ『三国志 Three Kingdoms』の考察 第72話 「麦城に敗走す(ばくじょうにはいそうす)」

関羽(かんう)は孫権(そんけん)の裏切りもあって曹操軍(そうそうぐん)に惨敗し、やむなく麦城へ入った。

しかし、この城も孫権配下の呂蒙(りょもう)に包囲されたため長く留まることができず、わずか数百の残兵をひきいて決死の突破を敢行する。

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第72話の展開とポイント

(01)徐晃(じょこう)の軍営

徐晃のもとに樊城(はんじょう)の曹仁(そうじん)の使者が着き、城内の惨状を伝えて援軍を求める。

徐晃は曹操(そうそう)の命が下らないため援軍を出せず、もどかしい思いをしていたが、そこへ曹操が大軍をひきいて到着する。

曹操は徐晃に戦機が来たと告げ、孫権(そんけん)が手を組みたいと言ってきたことも伝える。

曹操は徐晃にゴホンエイ(五本営? 虎賁営?)と近衛軍、加えて曹彰(そうしょう)も託す。これで最高の精鋭からなる12万の軍勢が整った。

そのうえで曹操は徐晃に、関羽(かんう)の討伐と荊州軍(けいしゅうぐん)のせん滅を命ずる。

ここで出てきた「ゴホンエイ」については「コホンエイ」とも聞こえ、どうもはっきりしなかった。

(02)荊州

呂蒙(りょもう)が城下に到着し猛攻を加える。

(03)樊城の郊外

徐晃のもとに、みたび砦を攻めたものの反撃され、荊州軍が投降しないとの知らせが届く。そこで徐晃は攻撃にあたる兵を増やしたうえ、自身も砦攻めに加わる。

(04)関羽の軍営

関羽のもとに東の砦が陥落したとの知らせが届く。関羽は関平(かんぺい)に、兵をひきいて徐晃を討ち、半時(はんとき)で東の砦を取り返すよう命ずる。

続いて関羽のもとに、曹操軍が東ではなく北を攻めに向かったとの知らせが届く。また「呂蒙が荊州を陥したゆえ、われわれに早く投降しろ」と、敵兵が口々に叫んでいるとも伝わる。

しかし、関羽は曹操の流言だと言い、関平らを東の砦へ向かわせた。

(05)荊州

呂蒙が荊州城を攻略し、城門の前で周瑜(しゅうゆ)を祭る。そこへ孫権から、陸遜(りくそん)とともに荊州を守り、関羽を追撃してはならないとの命令が届く。

呂蒙は陸遜の到着を見て東門を閉めさせ、半時足止めしたのち城内へ入れるよう命ずる。その一方、賈華(かか)とともに1万の軽騎兵をひきい、西門から出て関羽を追撃する。

(06)関羽の軍営

関羽のもとに関平と周倉(しゅうそう)が戻り、荊州が陥落したことを伝える。

ここで関羽からのろし台のことを尋ねられた関平が、「呉(ご)の兵士が商人を装い、船に精鋭を潜ませ、深夜に襲撃したのです。守備兵は全滅です」と答えていた。また関平は関羽に、傅士仁(ふしじん)と糜芳(びぼう)が呉に投降したことも伝えていた。

徐晃が軍勢をひきいて関羽の本陣に突入。関羽は矢傷の悪化もありまともに戦えず、馬良(ばりょう)らは関羽を本陣から連れ出す。

(07)徐晃の軍営 ※関羽から奪った軍営

徐晃が曹彰の申し出を聞き入れ関羽の追撃を任せる。そこへ曹操から、関羽の残軍は後を追うだけで攻撃せず、関羽は生け捕りにせよとの命令が届く。

しかし曹彰はこの命令に従わずに出撃しようとし、徐晃が体を張って制止する。

ちょうど曹操が到着。曹操は曹彰に徐晃への謝罪を命じ、これに曹彰も従う。曹操は曹彰に、関羽の100歩(ぽ)以内に近づくな、と命じたうえで追撃を許す。

(08)敗走中の関羽

周倉が関羽に合流し、関平の無事と馬良の消息不明を伝える。また、残った兵が1千人足らずであるとも伝える。

そこへ廖化(りょうか)の敗残兵が現れ、廖化が上庸(じょうよう)の劉封(りゅうほう)と孟達(もうたつ)に援軍を求めたものの、断られて行方知れずになったと話す。

これを聞いた関羽は血を吐いて落馬。周倉らは関羽を麦城(ばくじょう)へ運び込む。

(09)麦城

呂蒙が1万の軽騎兵をひきいて到着し四方から包囲する。

関羽は残った数百の兵をひきいて出撃。呂蒙の包囲を突破するも、わずかに生き残ったのは12騎だった。

呂蒙は部将に自分の将旗を預けて西へ向かわせ、陸遜をかわそうとする。そして、自身は上庸方面に逃げたとみられる関羽の追撃を続ける。

(10)敗走中の関羽

関羽が呂蒙に追いつかれる。関平と周倉は抵抗したうえ戦死し関羽も自害して果てる。

呂蒙が関羽の首級を手にしたあと、ようやく陸遜が駆けつけてくる。

ここでナレーションが入っていた。「かくて当世の豪傑と謳(うた)われた関羽は、呉によって命を奪われた。享年58。比類なき忠義、勇猛、武勲をもって、その名は末永くのちの世まで語り継がれることとなる」と。

(11)荊州

孫権の命によって呂蒙は建業(けんぎょう)へ戻り、陸遜が荊州に留まることになる。

(12)建業

孫権が群臣をひきいて呂蒙を出迎える。孫権は呂蒙に、天子(てんし)に上奏して征西将軍(せいせいしょうぐん)に任じ、ゴテイ侯(呉亭侯?)に封ずると告げる。

ここでいきなり建業が出てくるというのはどうなのだろうか? 加えて、この宮殿の入り口に「呉王宮」という額が掛けられていたのも気になった。

呂蒙が孫権に関羽の首を献上する。孫権は呂蒙が関羽を斬ったことを評価する一方、今回は曹操によく助けてもらったとして、関羽の死は曹操の功績とすべきだと言いだす。

そして来月65歳になる曹操のために、早馬で許都(きょと)へ関羽の首を届けるよう命ずる。

次の第73話(06)にあるように、曹操は来月(年明け)で66歳になる。

(13)荊州

陸遜のもとに孫権から書状が届き、呂蒙の重病と建業への帰還命令が伝えられる。

(14)建業

張昭(ちょうしょう)が孫権に陸遜の到着を報告。孫権は張昭に、陸遜を連れて呂蒙の見舞いに行くよう命ずる。

そこで陸遜が見舞いに行ったところ、すでに呂蒙は亡くなっていたことがわかる。

ここで張昭が陸遜に「(呂蒙は)功績を祝う宴の席で発作を起こされて、全身のけいれんが続き、半時のちに突然息を引き取られたのだ。医者たちにもなすすべがなく、死の原因はいまもってわからぬ」と言っていた。

さらに「大都督(だいととく。呂蒙)は主君の軍令に背いた。身勝手な行動で呉を危険にさらした張本人である。これは、しかるべき大罪なのだ」とも言っていた。

このシーンの冒頭で建業として使った画像が、これまでに柴桑(さいそう)などとして使ったものの使い回しだった。こういうのは残念だ。

管理人「かぶらがわ」より

これまで数々の戦功を重ねた関羽でしたが、その驕(おご)りが死を招くことになりました。

「桃園(とうえん)の誓い」の時点で諸葛亮(しょかつりょう)のような人物がひとりでも加わっていたら、その後の展開はまったく変わっていたのでしょうね。

とはいえ、関羽も張飛(ちょうひ)も武芸には自信がありすぎるほどでしたから、これで謙虚になれというのは難しかったとも思います。
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