吉川『三国志』の考察 第105話「風の便り(かぜのたより)」

曹操(そうそう)と袁紹(えんしょう)の戦いは長引き、袁紹が陽武(ようぶ)へ移ると、曹操もひとまず許都(きょと)へ帰った。

汝南(じょなん)で曹洪(そうこう)が黄巾(こうきん)の残党に苦戦しているとの急報が届き、関羽(かんう)は曹操に願い出て援軍に駆けつける。かの地では思いがけない旧友との再会があった。

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第105話の展開とポイント

(01)許都 丞相府(じょうしょうふ)

曹操と袁紹の大戦は長引いた。黄河(こうが)沿岸の春も熟すと、袁紹軍は地の利を改めて陽武の要害へ移る。

『三国志演義(2)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第26回)では武陽(ぶよう)とあるが、『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武帝紀〈ぶていぎ〉)には吉川『三国志』と同じく陽武とある。

ひとまず曹操も許都に帰り、将兵を慰安しようと慶賀の宴を開いた。

この席で曹操は延津(えんしん)の戦に触れ、わざと輜重(しちょう)部隊を先陣として敵を釣る計略を用いたが、あれを悟っていたのは荀攸(じゅんゆう)だけだった、などと話したうえ、しかし荀攸も口が軽いのはいけない、とも言って大いににぎわっていた。

そこへ汝南から早馬が着き、ひとつの変を報ずる。汝南でもと黄巾の残党の劉辟(りゅうへき)と龔都(きょうと。共都)の討伐にあたっていた曹洪が大きな痛手を受け、今なお退却中であるという。

ちょうど宴の最中だったので人々は騒然と議に沸いたが、ここで関羽が援軍に行くことを願い出る。曹操は彼の出陣を許すと5万の軍勢を与え、于禁(うきん)と楽進(がくしん)を副将として添えた。

このあと荀彧(じゅんいく)が意見する。よほどお気をつけにならないと、関羽は行ったままついに帰ってこないかもしれないと。曹操も反省し、汝南から帰ったら、もうあまり用いないことにしようとうなずく。

(02)汝南 関羽の本営

汝南に迫った関羽は古刹の一院に本営を置き、明日の戦に備えた。その夜、哨兵の小隊が敵の間諜(かんちょう)らしい怪しげなふたりの男を捕らえてくる。

関羽が前に引き据え覆面を取らせてみると、ふたりのうちのひとりは、ともに劉備(りゅうび)の麾下(きか)にいた旧友の孫乾(そんけん)だった。関羽は自ら縛めを解き、左右の兵を退けてから、ふたりきりで旧情を温め合う。

孫乾は、徐州(じょしゅう)離散のあと汝南へ落ち延びたと言い、ふとした縁から劉辟や龔都と親しくなり、匪軍(ひぐん。賊軍)の中に身を寄せていたと話す。

関羽が、ならば敵方かと警戒すると、さらに孫乾は、河北(かほく)の袁紹から曹操の側面を突けとの交換条件で、かなりの金や物資が匪軍に回ったとも話した。

また、こういう関係から河北の消息も聞こえてくるが、先ごろある確かな筋から、ご主君(劉備)が袁紹を頼まれ、河北の陣中におられると耳にしたとも伝える。

話を聴いた関羽は大きな喜びの息をつく。

孫乾は、劉辟と龔都がかねて関羽を慕っていると言い、明日の戦ではみな偽って逃げるから、そのつもりで手心を加えるよう促す。

関羽は平定の任を果たした後、いったん許都へ帰り、劉備の二夫人を守護して再び汝南へ来ることを約束。そこで孫乾は彼の代わりに先に河北へ行き、あらかじめ袁紹とその周囲の空気を探っておくことにする。

関羽はそっと裏門から、孫乾ともうひとりの間諜を送り出す。

宵のころより注意していた副将の于禁と楽進は物陰で様子を見ていたが、関羽を恐れてこの場では何も干渉できなかった。

(03)汝南

翌日、匪軍との戦いは予定通りのものになる。関羽は苦もなく州郡を収め、やがて軍勢をひきいて許都へ帰った。

(04)許都 丞相府

当然ながら兵馬は損傷が少なく、功は大きかった。曹操の歓待は言うまでもない。于禁と楽進は密談の件を訴える機を狙っていたが、曹操の関羽への信頼と敬愛が頂点であるのを見ては、下手に横から告げ口もできなかった。

(05)許都 関羽邸

祝宴から退出した関羽は屋敷に帰るとすぐに内院へ伺候し、劉備の二夫人に汝南から凱旋(がいせん)したことを報告。四方山話(よもやまばなし)を始めると甘夫人(かんふじん)はなじり、夫の消息に関する手がかりがなかったか尋ねる。

関羽が、まだ大した手がかりはないと伝えると、甘夫人と糜夫人(びふじん。麋夫人)は珠簾(しゅれん)の内に伏し転(まろ)び、声を放って泣き悲しんだ。

なおふたりが恨み言を述べると、関羽は改まって諭す。

皇叔(こうしゅく。天子〈てんし〉の叔父。ここでは劉備のこと)の行方についても曙光(しょこう)が見えかけているが――。

もしおふたりにお告げして、それがふと内走の下女からでも外に漏れれば、これまでの苦心も水泡に帰すかもしれないと、実は深く秘しているのだと。

さらに、皇叔が河北の袁紹に身を寄せられ、先ごろは黄河の後陣までご出馬と、風の便りにほのかに聞き及んでいるものの、もっと確かめてみなければわからないとも告げる。

ふたりは、やがて確かなことがわかれば、孫乾が途中まで出迎えに来る約束になっていると聞き、喜びの声を漏らす。

ここで関羽はふたりを制し、再び皇叔とご対面なされる日まではただこの関羽をお頼みになり、何事も素知らぬふうにお暮らしいただきたいと乞うた。

管理人「かぶらがわ」より

汝南への出陣をきっかけに孫乾と再会した関羽。少しずつ劉備との距離が縮まってきているように感じられました。

ただ、どうも汝南の位置がピンときません。実際の汝南郡は許都の南東にありますが、河北から曹操の支配地(兗州〈えんしゅう〉・予州〈よしゅう。豫州〉・徐州)を横切る形で、汝南まで資金や物資を運べるとは思えないのですよね……。

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吉川英治著 新潮社 新潮文庫
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記事作成にあたり参考にさせていただいた各種文献の詳細は三国志の世界を理解するために役立った本(参考文献リスト)をご覧ください。

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