吉川『三国志』の考察 第265話「孟獲(もうかく)」

進軍を続ける蜀軍(しょくぐん)に対し、ついに孟獲自身も王平(おうへい)の部隊と遭遇して一戦に及ぶ。

兵法を知る蜀軍を相手に、南蛮勢(なんばんぜい)は組織的な反撃ができないまま四散。錦帯山(きんたいざん)へ逃げた孟獲も、趙雲(ちょううん)の手で難なく捕らえられてしまう。

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第265話の展開とポイント

(01)反撃に出る孟獲

南蛮国(なんばんこく)における「洞」は寨(とりで)の意味であり、「洞の元帥」とはその群主をいう。

いま国王の孟獲は、部下の三洞の元帥がみな諸葛亮(しょかつりょう)に生け捕られ、その軍勢も大半は討たれたと聞き、俄然(がぜん)、形相を変えた。この孟獲という者の勢威と地位とは、南方の蛮界の内では最も強大なものらしい。

彼がひきいてきた直属の軍隊は、いわゆる蛮社(蛮国)の黒い猛者どもだが、弓馬剣槍(けんそう)を輝かせ、怪奇な物の具を身に着け、赤幡(せきばん。赤色の幟〈のぼり〉)や紅旗をなびかせて、なかなか中国の軍勢にも劣らぬ装備を持っていた。

これが端なくも、蜀の王平の先陣と烈日の下に行き会う。孟獲は王平の声に応じて進み出ると、部下の忙牙長(ぼうがちょう)を差し向ける。忙牙長が乗っていたのは馬ではなく、大きな角のある水牛だった。

忙牙長は王平と5、6合戦ったが、尋常な剣技では比較にならず、たちまち追い立てられた。

部下の血を見た孟獲は本来の蛮人性を現し、おめきざま跳びかかる。王平は偽って逃げ出した。

捲毛(ちぢれげ)の赤馬に旋風(つむじ)を立てながら、孟獲は王平を追いかける。

すると頃合いを眺めていた関索(かんさく)の一軍が突出し、後方を中断した。また張翼(ちょうよく)は右から、張嶷(ちょうぎ)は左から、それぞれ蛮軍を覆い包む。

無知の軍と兵法のある軍との優劣は、あまりにも明らかな結果を現した。寸断された蛮軍は蜂(ハチ)の巣を叩かれたように混騒し、逃げる方角すら一定のものを持たない。

(02)錦帯山

狼狽(ろうばい)した孟獲は急に一方の囲みを破り、錦帯山のほうへ走った。

『三国志演義大事典』(沈伯俊〈しんはくしゅん〉、譚良嘯〈たんりょうしょう〉著 立間祥介〈たつま・しょうすけ〉、岡崎由美〈おかざき・ゆみ〉、土屋文子〈つちや・ふみこ〉訳 潮出版社)によると、「錦帯山は山の名。益州(えきしゅう)南部に属す。後漢(ごかん)・三国時代にはこの地名はなかった」という。

だが谷間にかかると、谷の中から金鼓や銅鑼(どら)の音がする。道を変えて峰へ登りかけると、岩や木の陰から、蜀の勇卒が鼓を打ちながら攻めてくる。この中に趙雲がいた。

孟獲は肝を消し、渓流を跳んで、沢を駆けながら逃げ回ったが、すでに四山は蜀兵の鉄桶(てっとう)と化し、逃れるべくもないありさま。馬を捨てて渓流のそばへ寄る。

孟獲が身をかがめて水を飲もうとすると、四方から鬨(とき)の声と金鼓がこだまして鳴り響く。

孟獲は木の根や岩角にしがみつき、道なきところを越え始める。そして、峰の上に出てホッとひと息ついていると、趙雲の手によって難なく捕らえられてしまった。

ここで孟獲一擒(いっきん)。

(03)諸葛亮の本営

縄目も、ただの縄を掛けたのではぷつぷつ切ってしまうし、暴れる吠えるでほとんど手が付けられない。

そこで革紐(かわひも)をもって厳しく縛め、屈強な力士が十重二十重に囲み、諸葛亮の本陣まで引っ立てていった。それでも陣内へ押し込むときにもひと暴れし、3、4人の兵が蹴殺された。

本営の裏では、先に俘虜(ふりょ)とした多数の蛮兵が真っ黒に固まっている。諸葛亮はここへ来て戒諭を与えていた。

「汝(なんじ)らといえども、虫獣(むしけだもの)ではあるまい。父母もあろう、妻子もあろう。生け捕られたと聞いたら、それらの者は血を流して悲泣するであろうに、なぜ無益にその生命を争って捨てに来るのか? 再び孟獲のごとき凶悪を助け、あたら生命を捨てるではないぞ」

もちろん全員を解き放す考えである。のみならず、酒を飲ませて糧を与え、負傷者には薬治をしたうえで追い放した。

無知な土蛮の者といえども、その恩にはみな感ずる。いや、中国の兵よりも正直に感銘して、振り返り振り返り立ち去った。

諸葛亮が一房へ戻ると、ちょうど武士たちが孟獲を引っ立ててくる。諸葛亮は少し揶揄(やゆ)をもてあそびながら、温容和やかに尋問した。

だが、孟獲はまったく服する様子を見せない。諸葛亮は孟獲の言うままに縄を解かせる。おもしろい。再び来て、ぜひ戦えと。

ここで孟獲一放。

出された酒をガブ飲みした後、営門の裏から送り出されると、孟獲は後も見ずにどこかへ消えていなくなった。

拳を握りながら見送っていた諸将は口をそろえ、不満と嘲笑を半ばにして言い合う。

「わからぬ。丞相(じょうしょう。諸葛亮)のお心は、我らにはとんと合点がまいらぬ」

諸葛亮は笑って応えた。

「なんの。彼ごとき者を生け捕るのは、囊(ふくろ)の中から物を取り出すも同じことではないか」

管理人「かぶらがわ」より

ここで孟獲、一擒一放。この人はなぜか憎めないキャラクターですよね。それと忙牙長。馬ではなく水牛に乗って戦うって……。これは一騎討ちの時に不利なのでは?

と思っていたら、『三国志演義(6)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第87回)では、忙牙長が乗っていたのは水牛ではなく、黄驃馬(こうひょうば。栗毛〈くりげ〉に白い斑点〈はんてん〉のある馬)になっていました。

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