吉川『三国志』の考察 第180話 「酔県令(すいけんれい)」

ちょうど諸葛亮(しょかつりょう)が荊州(けいしゅう)の南部4郡の視察に出ていたとき、劉備(りゅうび)のもとへ龐統(ほうとう)が訪ねてくる。

しかし劉備は、風采の上がらない龐統の実力を見抜くことができず、「耒陽県令(らいようけんのれい)」という閑職に就けてしまう。さっそく赴任した龐統だったが……。

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第180話の展開とポイント

(01)荊州(けいしゅう。江陵〈こうりょう〉?)

ここしばらく諸葛亮(しょかつりょう)は荊州にいなかった。新領治下の民情を見、4郡(武陵〈ぶりょう〉・桂陽〈けいよう〉・長沙〈ちょうさ〉・零陵〈れいりょう〉)の産物などを視察して歩いていた。

その留守中に龐統(ほうとう)がやってくる。劉備(りゅうび)は取り次ぎの家臣に、すぐ丁重に案内せよと命じた。

だが、堂に迎えられても長揖(ちょうゆう。簡単な敬礼。両手を組み合わせて上げ下ろしする)して拝すでもなく、すこぶる無作法に佇立(ちょりつ)している。のみならず、風体は卑しげだし、顔は醜いときているので、劉備もすっかり興ざめ顔に通り一遍の質問をした。

「遠くご辺(きみ)のこれへ来られたのは、そも、いかなる御用があってのことか?」

龐統は、かねて諸葛亮からもらっていた書状や魯粛(ろしゅく)の紹介状をわざと出さずに答える。

「されば劉皇叔(りゅうこうしゅく。天子〈てんし〉の叔父にあたる劉備)が、この地に新政を敷き広く人材を求めらるる由を遥かに承り、もしご縁あらばと来てみたわけです」

龐統が諸葛亮から書状を受け取ったことについては、前の第179話(01)を参照。

龐統が魯粛から紹介状を受け取ったことについても、前の第179話(01)を参照。

こうして辞令を受けると、龐統は即日、任地へ発っていく。(耒陽県は)荊州東北、約130里(り)の小都会である。

ここまでもたびたび触れた「荊州(城)」の謎に、また新たな手がかりが出てきたのかと思ったが……。耒陽県は荊州の桂陽郡に属する。なので、荊州城の東北、約130里に(耒陽県が)あるというのはどう考えてもおかしい。

(02)耒陽

ところが、龐統は「県令」として着任してもほとんど役所の時務を見なかった。地方における時務の多くは民からの訴えごとであるが、こういった訴訟などを放り出しておくため、書類が山積みになり塵(ちり)に埋もれていた。

当然、地方民の怨嗟(えんさ)や糾弾の声が起こる。荊州にも非難が聞こえてきたので、ただちに劉備は張飛(ちょうひ)と孫乾(そんけん)に耒陽県の巡視を命じた。

ふたりが数十騎の供を連れ到着すると、民や小吏はこぞって出迎えに立った。だが、県令の龐統は見当たらない。張飛は役人から、龐統が毎日酒ばかり飲んでいると聞くと、その足で県庁の官舎へ押しかける。

張飛が怒鳴ると、奥から衣冠も整えない酔いどれが、赤い蟹(カニ)のような顔をしてよろよろと出てきた。そして「わしが龐統だが」と、昼から酒臭い息を吐いて言った。

張飛が怠慢をとがめると、「ぼつぼつやろうと思っている」と気のない返事。張飛は話を聞くや、明日中にその実をおれの目に見せろと怒鳴る。龐統は「よろしい」と応ずるが、なおも手酌で飲んでいた。

その日、張飛と孫乾はわざと民家に泊まる。翌日に庁へ行ってみると、役所から往来まで行列が続いていた。

『三国志演義(4)』(井波律子〈いなみ・りつこ〉訳 ちくま文庫)(第57回)では、龐統は張飛と孫乾がやってきた当日に、100日余りの間に溜(た)まっていた公文書をすべて裁断してみせたとある。

聞くと今日は未明のころから、県令の龐統が急に裁判を白洲(しらす)に聴き、いちいち決裁を与えているのだという。

ここで出てきた「白洲」は、おそらく奉行所(ぶぎょうしょ)での取り調べの様子をイメージしたものだと思うが……。こういう使い方が適当なのかイマイチつかめず。

田地の争い、商品の取り引き違い、喧嘩(けんか)、家族騒動、盗難、人事……。雑多な問題を聴いた龐統はすぐ、「こういたせ」「こう仲直り」「それは甲が悪い、鞭(むち)を打って放せ」「これでは乙が不憫(ふびん)である。丙はいくらいくらの損害をやれ」などと、その裁決は水の流れるようだった。山と積まれた訴訟も、夕方までには一件も余さず片づく。

龐統は「いかがです。張飛先生」と笑い、晩餐(ばんさん)をともにと勧めた。張飛は床に伏し「まだかつて、大兄(友人に対する敬称)のごとき名吏を見たことがない」と、先の言を深く謝した。

龐統は張飛が帰る際に一書を出し、主君に渡してくれと頼む。

(03)荊州(江陵?)

劉備は報告を聞き、魯粛の紹介状も見て非常に驚く。

「あぁ、危うく大賢人を失うところだった。人は風貌ばかりではわからない……」

そこへ4郡の巡視を終えた諸葛亮が帰ってくる。うわさを聞いていたらしい彼が劉備に龐統のことを尋ねると、「耒陽県令」として赴任させたという。

諸葛亮は実情を聞くと、とにかく「県令」には誰か代わりを遣り、早くお呼び戻しになったほうがよいと勧める。

やがて龐統が荊州へ帰ってくると、劉備は不明を謝し、なお諸葛亮とふたりに酒を賜い心から言った。

「むかし司馬徽(しばき)先生や徐庶(じょしょ)が、もし伏龍(ふくりゅう)鳳雛(ほうすう)ふたりのうちひとりでも味方にすることができたら、天下の事も成ろうと予に言われたことがある」

「こんな不明な玄徳(げんとく。劉備のあざな)に、そのふたりまでがともに扶(たす)けてくれようとは……。あぁ、思えば玄徳は果報すぎる。慎まねばならん。慎まねばならん」

昔の司馬徽の発言については先の第124話(01)を参照。徐庶もたびたび諸葛亮と龐統を高く評価している様子を見せていたが、司馬徽ほどのストレートな発言は、どの箇所でとは言いにくい。

管理人「かぶらがわ」より

耒陽県に赴任して才能の一端を見せる龐統。『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・龐統伝)には、「従事(じゅうじ)」のまま「耒陽県令」を代行した龐統は治績が上がらず免官になったとありました。

そこで呉(ご)の魯粛が劉備に、彼の才能の大きさを伝える手紙を送ったり、諸葛亮も執り成したりしたそうです。こうして劉備は龐統とよく語り合った後、大いに有能だと評価して「治中従事(ちちゅうじゅうじ)」に任じ、その親愛ぶりは諸葛亮に次ぐものになったのだと。

この第180話で語られたエピソードについては、もっと彼の活躍を盛ったほうがいいだろうとの思いから、肯定的に捉(とら)えたいです。

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吉川『三国志』 (7) 望蜀の巻
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