【姓名】 陳本(ちんほん) 【あざな】 ?
【原籍】 広陵郡(こうりょうぐん)東陽県(とうようけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
法律に関する書物を読まずして「廷尉(ていい)」と称される
父は陳矯(ちんきょう)だが、母は不詳。陳騫(ちんけん)は弟。息子の陳粲(ちんさん)は跡継ぎ。
237年、陳本は陳矯が死去したため跡を継ぎ、東郷侯(とうきょうこう)に封ぜられた。そして太守(たいしゅ)や九卿(きゅうけい)を歴任したが、要点をわきまえて職務にあたり、よく部下の能力を生かしたという。
陳本には統御の才があり、小さなことに関心を示さなかった。法律に関する書物を読まないのに「廷尉」との評判を得るほどで、司馬岐(しばき)らより優れ、物事の条理にも通じていた。
後に鎮北将軍(ちんぼくしょうぐん)・仮節(かせつ)・都督河北諸軍事(ととくかほくしょぐんじ)まで昇り、死去(時期は不明)すると息子の陳粲が跡を継いだ。
管理人「かぶらがわ」より
上で挙げた記事は『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・陳矯伝)によるものです。
その裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く郭頒(かくはん)の『世語(せいご。魏晋世語〈ぎしんせいご〉)』には――。
父の陳矯が劉曄(りゅうよう)に讒言(ざんげん)された際、陳本より弟の陳騫のほうが、曹叡(そうえい)の気持ちをよく理解していた様子がうかがえる記事もあったのですけど……。
いずれにせよ陳本がらみの記事はほとんどなく、詳しい事績はわかりませんでした。
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