【姓名】 簡雍(かんよう) 【あざな】 憲和(けんか)
【原籍】 涿郡(たくぐん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 第073話で初登場。
【演義】 第018回で初登場。
【正史】 登場人物。『蜀書(しょくしょ)・簡雍伝』あり。
己の流儀を貫いた劉備(りゅうび)の旧友
父母ともに不詳。
簡雍は若いころ劉備と知り合い、彼に付き従って各地を転々とした。
201年、劉備が荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)を頼ったとき、簡雍は麋竺(びじく)や孫乾(そんけん)とともに従事中郎(じゅうじちゅうろう)となる。彼らは劉備の話し相手をしたり、使者の役目を務めたりした。
211年、劉備が益州(えきしゅう)へ入ると、随行していた簡雍は、劉璋(りゅうしょう)から大いに気に入られる。
214年、劉備が成都(せいと)を包囲した際、簡雍は命を受けて城内へ遣わされ、劉璋の説得にあたり、降伏を認めさせることに成功した。簡雍は昭徳将軍(しょうとくしょうぐん)に任ぜられたが、その後については記事がない。
管理人「かぶらがわ」より
本伝によると、簡雍は態度が伸び伸びとしており、豪放で細かいことにこだわらなかったという。劉備の前でも足を投げ出して座り、脇息(きょうそく)にもたれ、威儀を整えず、心のままに振る舞っていたとも。
このような態度を劉備に取っていたほどなので、諸葛亮(しょかつりょう)らに応対するときは、自分だけ長椅子を占めたうえ、首を枕に載せて、横になったまま話をしたそう。
こういう型破りな人物は嫌いではないですが、相当の地位に昇った劉備の側近としては、微妙なものがあると思います。
ただ簡雍は機知に富む一面を持っており、本伝に次のような話も見えました。
あるとき干ばつのために飲酒を禁じ、酒を醸造した者を刑罰に処したことがあった。
役人が、ある家から醸造に使う道具を没収したところ、論者は、実際に酒を造った者と同罪にすべきだと考えた。
簡雍が劉備と外出したとき、ひと組の男女が道を行くのを見て言った。
「あのふたりは淫らなことをしようとしております。なぜ捕縛されないのですか?」
劉備が応えた。
「きみはどうしてそのようなことがわかるのか?」
すると簡雍が言った。
「彼らは(淫らなことをするための)道具を持っております。酒を造ろうとした者と同じです」
劉備は大笑いし、醸造に使う道具を没収された者を許した。
品のあるやり取りではありませんけど、簡雍の頭の回転の速さや、劉備とは気が置けない関係だったことがうかがえる話ですね。
なお本伝の裴松之注によると、簡雍は、もともと耿(こう)という姓だったといい、幽州(ゆうしゅう)の人々は「耿」を「簡」と発音したので、そのまま姓を簡に変えたのだということです。
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