【姓名】 劉邕(りゅうよう) 【あざな】 南和(なんか)
【原籍】 義陽郡(ぎようぐん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
篤実さをたたえられた将軍
父母ともに不詳。息子の劉式(りゅうしょく)は跡継ぎで、劉武(りゅうぶ)も同じく息子。
211年、劉邕は劉備(りゅうび)に付き従って蜀(しょく)へ入る。
214年、劉備が成都(せいと)で劉璋(りゅうしょう)を降した後、劉邕は江陽太守(こうようたいしゅ)に任ぜられた。
後に劉禅(りゅうぜん)の建興(けんこう)年間(223~237年)には監軍(かんぐん)・後将軍(こうしょうぐん)まで昇り、関内侯(かんだいこう)に封ぜられる。
劉邕が死去(時期は不明)すると、息子の劉式が跡を継いだ。
管理人「かぶらがわ」より
上で挙げた記事は『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・楊戯伝〈ようぎでん〉)の『季漢輔臣賛(きかんほしんさん)』の陳寿(ちんじゅ)の注記によるもの。
登場箇所が少ないためコメントしにくいうえ、具体的な事績についての記事もなく、どのような人物だったのかはよくわかりませんでした。
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