【姓名】 劉瑶(りゅうよう) 【あざな】 ?
【原籍】 涿郡(たくぐん)涿県(たくけん)
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 第118回で初登場。
【正史】 登場人物。
蜀(しょく)の劉禅(りゅうぜん)の息子
父は劉禅だが、母は不詳。
劉璿(りゅうせん)は兄で、劉琮(りゅうそう)・劉瓚(りゅうさん)・劉諶(りゅうしん)・劉恂(りゅうじゅん)・劉虔(りゅうけん。劉璩〈りゅうきょ〉)は弟。ほかに姉妹が3人はいたことがうかがえる。同母兄弟、同母姉妹なのかはイマイチはっきりしない。
劉瑶は、238年1月に安定王(あんていおう)に封ぜられた。その後、263年に劉禅が魏(ぎ)の曹奐(そうかん)に降伏すると、翌264年には劉禅に付き従って洛陽(らくよう)へ移った。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。
『三国志』(蜀書〈しょくしょ〉・後主伝〈こうしゅでん〉)の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く王隠(おういん)の『蜀記(しょくき)』によると、271年に劉禅が洛陽で亡くなった後、その爵位である安楽公(あんらくこう)は(彼の弟の)劉恂が継いだということです。
劉瑶の没年はわかりませんが、弟の劉恂が父の爵位を継いでいることから、271年の時点で亡くなっていたのかもしれません。
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