【姓名】 曹冏(そうけい) 【あざな】 ?
【原籍】 沛国(はいこく)譙県(しょうけん)?
【生没】 ?~?年(?歳)
【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。
曹叔興(そうしゅくこう)の子孫
父母ともに不詳。詳しい事績も不明。
管理人「かぶらがわ」より
登場箇所が少ないためコメントしにくいです。
『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・武文世王公伝〈ぶぶんせいおうこうでん〉)の評の裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く孫盛(そんせい)の『魏氏春秋(ぎししゅんじゅう)』に、曹冏が曹芳(そうほう)に奉った上奏文が載せられており――。
この中では、六王朝(夏〈か〉・殷〈いん〉・周〈しゅう〉・秦〈しん〉・漢〈かん〉・魏)の興亡について詳しく論ずることで、時の権力者であった曹爽(そうそう)の心を改めさせようとしたが、受け入れられなかったとありました。
ここで引かれている上奏文は非常に長いもので、難解な表現も多いと感じました。「大魏(たいぎ)が建国してから24年になりますが……」といった文言があるのをみると、243年ごろのものでしょうか。
結局のところ、「才能がある魏の帝族をもっと要職に起用し、異姓の臣下たちとのバランスを取るように」というのが肝のようです。そう言えば曹植(そうしょく)も、曹叡(そうえい)の時代に似たようなことを訴えていました。
またこのくだりでは、「曹冏は中常侍(ちゅうじょうじ。曹騰〈そうとう〉のこと)の兄の曹叔興の子孫であり、少帝(しょうてい。曹芳)の祖父の年代にあたる一族」ともあります。
曹騰は曹操(そうそう)の祖父にあたる人物です(ただし、曹操の父の曹嵩〈そうすう〉は実子ではなく曹騰の養子)。
曹冏については曹叔興の子孫とあるだけなので、それ以上の親子関係などはわかりませんでした。
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