陳氏(ちんし)A ※曹操(そうそう)の妻、陳妾(ちんしょう)

【姓名】 陳氏(ちんし) ※名とあざなは不詳

【原籍】 ?

【生没】 ?~218年?(?歳)

【吉川】 登場せず。
【演義】 登場せず。
【正史】 登場人物。

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魏(ぎ)の曹操(そうそう)の側室、陳妾(ちんしょう)

父母ともに不詳。曹操との間に曹幹(そうかん。曹良〈そうりょう〉)を儲けた。

陳氏は曹幹が3歳の時に亡くなったため、代わって王氏(おうし)が曹幹を養育したという。

管理人「かぶらがわ」より

登場箇所が少ないためコメントしにくいです。具体的な事績についての記事がなく、どのような人物だったのかはわかりませんでした。

『三国志』(魏書〈ぎしょ〉・趙王幹伝〈ちょうおうかんでん〉)によれば、曹幹を養育した王氏が曹操の寵愛を受けていたうえ、曹丕(そうひ)を世継ぎとすることにも尽力したので、曹幹が、曹操・曹丕・曹叡(そうえい)から目をかけられていた様子がうかがえます。

陳氏が曹幹(曹良)を生んだことは「趙王幹伝」の本文に書かれておらず、裴松之注(はいしょうしちゅう)に引く魚豢(ぎょかん)の『魏略(ぎりゃく)』によるものです。

それには「曹良(曹幹)の誕生後、生母の陳氏は亡くなった。そこで曹操は王氏に彼を養育させた」とあり――。

さらに「曹操は病が重くなったとき、太子の曹丕に遺令を与えた。『この子は3歳で母を亡くし、5歳で父も亡くすことになる。この子を頼むぞ』」ともあり、「そのため曹丕は、ほかの弟たちより曹良(曹幹)に目をかけた」ともあります。

曹操が崩じたのは220年ですので、そこから逆算すると曹幹が216年に生まれたことや、陳氏が218年に亡くなったことが想定されます。

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